爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

持続可能性を妨げるものは何か その3 経済成長その他

その1,2で述べた「資源の制約」ということは比較的判り易いものではないかと思いますが、この「経済成長」が持続可能性を妨げるということはちょっと受け入れにくい人もいるのではないでしょうか。

 

現代はこれまでの異常なほどの経済成長の世界にどっぷりと浸りきってきたために、それなしでの社会というものを考えることすらできない人が多い(特に政財界のリーダー層)ようです。

 

そのためか、SDGsの話をするにも経済成長という欄を設けるということになり、自己矛盾を振りまいてしまいます。

 

しかしその原理はいたって簡単。

「無限に増加する数列は発散する」という、高校数学で誰もが習ったはずの理論です。

ごくわずかな経済成長、毎年1%の成長をするとしましょう。

最初を1とすると次の年は1.01、その次の年は1.02、ではなく1.01の二乗となります。(複利計算になるので)

n年後には(1.01)のn乗。

このnが無限大となれば経済規模自体も無限大となり、現実世界とすればそのはるか以前に崩壊してしまいます。

つまり「ずっと発展し続ける経済」は「持続不可能」なのです。

 

ただし、ここからが迷うところです。

資源制約を受ける実体経済は定常状態を保たせておき、実体のない金融だけが成長をすれば良いのではないかという仮定が成り立つ可能性はないか。

もちろん、金融賭博で儲けた連中は必ずどこかで大盤振る舞いをしますので、実体経済に影響を及ぼさないと言うことはまず無いはずですが、可能性としてはあるかもしれません。

ただし、そんなものがあったとしてもそれを「経済成長」と呼べるかどうかは問題ですが。

特に、まず「経済成長を求める人間たち」がそのような数字だけの成長で満足するはずもないのですが。

と言うことで、これについてはあえて無視しておいても良いように思います。

 

以上のように、「経済成長」というものが入り込んでくると必ず「持続可能性」は損なわれるということです。

成長はしない、しかし縮小もしないとなると、常に「定常状態」を続けるしかないということになります。

となると、資本主義が成り立っていかないのではないかという疑問が生じるでしょう。

資本主義が必ず経済成長を必要とするのかどうか。

誰かが考えているのかもしれませんが、今までのところそういった学説を見たことがありません。

あまりにも寂しい状況なので誰も取り扱おうとはしなかったのか。

私の浅い知識から見ても、資本家が投資をしそこから利潤を上げ、それを再投資するという資本主義の基本(今はかなり乱れているようですが)を考えると、成長を望んでの再投資ができなくなればそもそも成り立たないという気もしますが。

 

どうやら、資本主義というもの自体が「持続可能性」を大きく妨害しているようです。

いよいよ本丸に入ってきました。

資本主義体制を続けながら、持続することを求めるというのは最大の自己矛盾なのでは。

深海に数億年も住み続けているシーラカンスは、究極の「持続している生物」かもしれません。

シーラカンスが「儲けを出して再投資」などという資本主義的行動を取るなどということは全くあり得ないでしょう。

現代の世界で様々なことにもがいている現代人が、「持続可能性」ということを考えること自体、まったく自らの存在を否定しているということになるのでしょう。

まあ、これも「もう止めたら」で終わりということになりました。

 

(終了)