爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

野党はなぜ政権担当能力が無いと言われるのか。

世界各国ではインフレで生活苦となったとか、ひどいスキャンダルとかで選挙で大敗、政権が移動するということが頻繁に見られます。

まあほとんど起きない国も多いのですが、それらは事実上の独裁国家でしょう。

北朝鮮、中国、ロシア、ロシア周辺の諸国等々)

 

しかし日本ではひどい経済状態で貧困に苦しむ人が多数となっても、インフレで皆の生活が苦しくなっても、政権中枢でスキャンダルが続出し役職辞任が頻発しても、どんなことになっても選挙では自公与党が大勝します。

 

その理由が「野党には政権担当能力が無い」というもので、これが一番に指摘されます。

その証拠があの民主党政権の無様な失政だとも言われます。

もはや政権交代というものは起きず、せいぜい自民党内で別の勢力に移動するかどうかしかないようです。

 

それはなぜなのか。

おそらく、野党といわれる政党のどれも「これからの日本」を形作るシナリオが描けないからでしょう。

彼らの主張はせいぜい「ちょっときれいな、だけど政策は自民党政権のまま」でしかありません。

それでは有権者もあえて彼らに投票しようという気にもなれそうもありません。

 

それでは「これからの日本を作る別のシナリオ」というものは無いのでしょうか。

 

日本は資本主義社会、民主主義社会であるとされています。(一応)

これを変えようという主張をする政党はなく、共産党ですら共産主義を貫こうという姿勢は放棄しています。

ところが資本主義の名の下、それを行なう企業などはその至上命令の利益を上げるという目標を目指そうとするほど、社会的な義務を果たすことをおろそかにしがちです。

労働者に正当な賃金を払わず、雇用者の権利を守ることもせず、環境は破壊し、取引業者に自らの地位を悪用し取引条件を改悪するということになります。

それを少しでも是正しようとすれば、政治的な圧力しかありません。

しかしこういった企業は政権との結びつきも強くなりがちであり、政治家への様々な利益供与でそれを思い通りに動かします。

社会正義に基づいた企業の制御というものも骨抜きにしていきます。

 

こういった企業の行為を少しでも制しようとするのが自公政権に対する野党の政策であり、これまでの野党の主張の主なものだったのでしょう。

しかし、それを実行できたとしても、あくまでも企業の行為は資本主義に基づくものでしかありません。

企業の制御が厳しくなれば資本主義原理で企業業績の悪化につながるといった反撃は常に激しいもので、政策もほとんど骨抜きということになるようです。

 

 

さらに資本主義というものはどんどんと変質していき、今では金融資本主義、カジノ資本主義、賭博資本主義といったものになっていきつつあります。

カジノのような株式市場、外為市場で儲けた金で実体経済の企業を買い占めたりするような行為が横行しています。

かつてのような、株式で企業に投資し、企業はそれで商品を作って販売し利益を上げて株主に還元するといった、いにしえの資本主義はもはや力を失っています。

 

しかし、現在の政権与党はこのような変質した資本主義にも上手に対応し、その賭博の勝者たちからの支持を受け、彼らのための政治を行なうようになっています。

これも何とかしない限り資本主義という名でくくられる活動の暴走はさらに激しくなる一方で、一気の崩壊という資本主義の末路が近づくだけかもしれません。

 

 

このような資本主義の暴走を、少しだけブレーキをかけるという程度のものが立憲民主党などの主要野党の方向性でしょう。

そこには抜本的な改革などは少しも存在せず、冒頭に述べたように「少しきれいな、自民党政治」でしかありません。

それでは「政権担当能力」などは得られず、「どこにも投票したい政党がない」ということにならざるを得ないでしょう。

なお、「反対だけの政党ではない」などと称して自公政権の政策にすり寄ろうという野党勢力もあります。

政権の政策に少しでも取るべきものがあるのならそれも意味がありますが、現在の政権の政策には一つもそれはなく、「すべて反対するしかない」のが現実でしょう。

そこで自公政権にすり寄ろうというのは、それで何らかの利益を得ようという似非野党でしかないでしょう。

 

現状の野党に投票したくないという有権者の姿勢は、残念ながら当然としか言えないものです。

かと言って自民党に投票するというのはもはや自殺行為でしかありません。

どこにも投票できないからといって棄権するのは最悪で、与党を利するものでしかありません。

もはや完全な手詰まりで、これ以上ない閉塞感ということです。

これを打開するのは、資本主義の手法ではありません。

かといって、共産主義でも独裁国家でもないでしょう。

これが、私が以前から主張している「脱エネルギー社会への移行」なのですが、長くなるので今回はこれまで。