爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「定常型社会」広井良典著

広井さんの本を少し前に読み、その非常に的確な内容には驚くほどであったので、他に著書が無いかと探して少し前の出版の本を見つけました。

なんと2001年出版ということで20年も前の本ですが、その内容は今でも全く古くなく、最先端と思える内容でした。

 

副題にもあるように「新しい『豊かさ』の構想」はこれまでのような経済成長第一主義と言ったものではなく、「定常型社会」にあるということは今となっては当然とも思えるものですが、まだまだ社会全般としては成長に凝り固まっているようです。

 

本書は4章に別れており、第1章「現代の社会をどうとらえるか」第2章「個人の生活保障はどうあるべきか」第3章「福祉の充実は環境と両立するか」第4章「新たな『豊かさ』のかたちを求めて」となっています。

定常というものが経済だけでなく福祉や環境とも深く関わっているということ自体、考えていなかったことなのですが、やはり人が暮らしていかなければならない以上、これも避けてはいけないところなのでしょう。

 

現代の社会をどうとらえるか、という中では、二つの対立軸が取り上げられているのですが、その一つは「富の成長と分配」、まさにこの前の衆院選で論争となったそのものです。

(なお、もう一つは「大きな政府VS小さな政府」というものです)

 

この対立軸をめぐる論争は欧米などでも大きく起こっているものですが、日本の場合は戦後にあまりにも急激に成長が起きていたために、ほとんど議論の余地も無かったそうです。

そこで真剣にその対立を考えなかったということが、今に至ってもまともに分配ということを考えることもなく、「成長が第一」という信仰を持ち続けている人々が支配的だという状況を作り出してしまいました。

 

社会保障というところも、この議論を進める上では重要なところです。

日本の社会保障というものが国際的に見てどのような特徴を持っているかということは、明確にして押さえておくべきものです。

(ただし20年前のものですので現在とは多少は違いがあるかもしれません)

第一に、日本の社会保障費の規模は先進諸国と比較し非常に低い水準である。

第二に、日本では社会保障の中に占める「年金」の割合が非常に高く、「失業給付」「子ども」関連給付の割合が際立って低い。

第三に、その財源として社会保険の枠の中に相当額の税金が投入されるという分かりにくい構造になっている。ということです。

ここには、日本特有の事情がありました。

日本の社会保障費が低すぎるという点については、かつては高齢化率が他国と比べて「低い」からと説明されていました。

しかし、急激に高齢化率が上がりかえって世界でも最高の高齢化社会となっても社会保障費は低いままです。

そこには、インフォーマルな社会保障というものがあったからということです。

それは「カイシャ」と「核家族」ということです。

企業と家族が社会保障を行うということで、政府の支出を抑えてきたのが日本の事実でした。

しかし企業の終身雇用は消え去ろうとし、家族の支え合いも無くなりかけています。

そこでは社会保障自体が極めて脆弱なものとなっていきます。

 

定常化社会は言い方をかえれば「持続可能な福祉国家」であるという指摘も、まさに現在の最先端と言うべきものでしょう。

しかし、福祉国家が定常であるかどうかは、それほど自明のものではなく、かつては対立するとも見られていたようです。

成長社会でなければ福祉もできないのかどうか、その内容次第かとも思います。

 

経済学の歴史をたどっても、成長というものはそれほど明確な存在ではなかったようです。

国家の経済成長ということを扱うには「GDPの増大」を見ていくのですが、それ自体非常に新しい概念です。

そもそも「なぜ成長に価値があるのか」ということに原理的な価値が明確に付けられているとは言えないというのは驚きです。

かつては「成長すれば失業者が減る」と言った程度の意味付けしかされていなかった時代もあったようです。

 

最後の章の中には「自助・共助・公助」についての記述もありました。

これもつい最近に政権が言い出して物議をかもしたものですが、これを当時の政党それぞれの主張と絡ませて論じています。

それによると、当時の自民党の政策は共助に近いものだとか。

それを自助第一と言い出したのは自民党伝統に背くものだったのでしょうか。

 

これも非常に内容の濃い本でしたし、経済物としては異例とも思えるほど「20年前の本でも古くない」というものでした。