爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「戦前日本のポピュリズム」筒井清忠著

戦前の日本が戦争への道を進んだのは軍部の独走によるものと片付けられそうですが、実際にはそれを応援し、いや先導したともいえるのがポピュリズム、すなわち大衆の行動でした。

そういった戦前ポピュリズムの歴史を見ておくことは、それを繰り返しそうな現代への戒めになるかもしれません。

 

現代では「ポピュリズム」と表現しますが、かつては「劇場型大衆動員政治」とも呼ぶべきものでした。

そしてその源流は日露戦争末において講和交渉に対する大規模な大衆運動にあります。

 

そのような政治運動であれば、明治期の自由民権運動に始まるのではという感想もありますが、実際にはかつての運動はごく一部の活動家だけのものであり、大衆運動の要素はほとんど無かったようです。

しかし、日露戦争末期に日本勝利という雰囲気は蔓延していたものの、実際には戦費も尽き果て戦争続行などは不可能という状況の中、賠償金も領土もほとんど確保できないという講和条件でも結ばざるを得ないという政府判断に対し、ほとんどの新聞社などが総攻撃を加え、それに扇動された大衆が日比谷焼き討ち事件を起こしました。

これこそがポピュリズムの始まりだということです。

 

その後、朴烈怪写真事件、統帥権干犯問題満州事変、五一五事件裁判、松岡洋右帝人事件、天皇機関説近衛文麿人気と、大衆の意向が強く反映する事件が相次ぎます。

 

そこでは大衆人気といいますが実際には新聞の扇動という要素が常に強いようです。

新聞同士の論争といった事態は見られず、新聞が政府などを総攻撃するという事態が見られます。

 

5・15事件は現代から振り返れば完全に一部軍部の反乱であっという間に鎮圧されたというイメージが強いのですが、実際にはその後の裁判にあたり多くの新聞が被告たちの生い立ちや主張を繰り返し擁護し、結果としてほとんどの被告に非常に軽い刑罰という判決が出たことはあまり意識されないようです。

 

近衛文麿が首相として戦争遂行、さらに対米英戦への道筋をつけることとなるのですが、その近衛が登場した頃の新聞各社の扱いもまさにポピュリズムを掻き立てるようなものだったようです。

近衛の人気には三通りの支持者がありました。1女性、2インテリ、3大衆だったということです。

当時もその女性人気については関心が集まり「女子供の人気が高い」と指摘されていました。

それには「青年性」「若さ」「長身」「美丈夫」という、年齢的要因とビジュアル的要因があったそうです。

そしてもちろん公家の中でももっとも高貴な家柄ということも大きく作用しました。

また当人が十分な教育を受けたということで、インテリ層も教養主義的な見方で支持しました。

さらに近衛の相撲好きという点も知られており、それが大衆人気につながったようです。

このようなイメージだけの人気のもとに近衛は戦争拡大に向かいました。

 

さて、このような戦前日本のポピュリズムの歴史を見ていくことは現代日本に参考になるのでしょうか。

まあなりそうな気もしますが。