爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢の話「テニス部の打ち上げで飲み会」

テニス部と言っても学校のクラブ活動ではありません。会社の同好会です。

 

私は夢の中ではかなり若いようで、テニス部の幹事のような立場です。

ということはもう30年以上前の話なのでしょう。

仕事上の来客があったのですが、その人はテニスが大好きということで、こちらも同好会の若い連中に相手をさせることとなりました。

ダブルスを2戦、シングルスを3戦、(なにかどこかの団体戦のような)

自分がプレーをしたかどうかは夢の中ではあやふやですが、終わった後は恒例の打ち上げです。

 

安い居酒屋なので、ぎゅうぎゅう詰めですが、女性も多いのでその方が楽しい。

試合の話を肴に飲み会は盛り上がっていきます。

 

「打ち上げの飲み会」なんて「夢で見た話」ではなく「夢のような話」に思えるような世の中になってしまいました。

 

つい先日もオリンピック放送の打ち上げと称して飲み会をやっていたテレビ局員などは、まるで反社会勢力であるかのように批判されました。

 

テニスは専門では無かったのですが、若い時は誘われて結構やっていた時期もあります。

そういった時は何か理由を付けては飲み会というのが恒例でした。

テニスをやることよりもそちらが目的だったのかもしれません。

仕事場の仲間たちとですが、仕事上ではまったく知ることのできないような話を色々とすることができ、貴重な時間でした。

 

それが全くできなくなったコロナ禍の現在です。

飲み会だけがコミュニケーションを深める場というのはちょっと芸が無いものですが、かと言ってそれに代わるものは中々見つかりません。

それを禁じた社会というものは成り立っていくものなのでしょうか。

 

 

さて、「コロナ禍」に罪をかぶせたような話になりましたが、実はそういった機会はコロナが流行するはるか以前にどんどんとなくなっていました。

職場への新入社員採用はどんどんと減っていき、わずかに入ってもパートや派遣等、非正規社員となっていきました。

特に女性の正社員などは全く入らなくなりました。

そんな中では、飲み会すらやりにくくなりました。

パートさんたちは飲み会の費用すら厳しいという声が出てきました。

どうやら、社会の崩壊というのは徐々に進行し、コロナ禍がとどめを刺しただけなのかもしれません。

 

若い人の飲み会だけでなく、老人会や町内会といった年寄りの集まりも無くなっています。(まだ私は老人会には参加していませんが)

人間社会というものは人と人とがつながって出来上がり、強くなっていくものですが、それが失われたらどういうものになるのでしょう。

 

コロナウイルス流行が収まれば元に戻るのでしょうか。

どうもそうはならないような気がします。