九州の田舎町でも年に2回だけ人や車が増える時期があります。
昨年は静かでしたが、今年は皆さんも「不要不急かどうかを自己判断して」帰省されたいるようで、かなり人流が増加しているようです。
さて、今年春先に家内の父親が亡くなりまして、今回が初盆ということで様々な行事があるようです。
実は40年余り前、会社に入って初めてこちらに赴任した時に盆休みになると異様な光景に驚いたものです。
それは、墓地の中でいくつかの墓の上に電球をいくつも付けて、盆の間それに点灯しているというものでした。
けっこう目立つもので、何をしているのか分からなかったのですが、初盆の家で行なうということを聞き、感心したものです。
その後ずっと当事者になることもなく来たのですが、義父の初盆で初めて経験することとなりました。
墓地の管理会社に聞くと施工してくれる電気工事業者を紹介され、頼むのですが、その数日間だけの電力会社との契約もあるようで、結構な値段です。
しかしまあ、この辺ではやらない家は無いということで、文句も言わず実施です。
その画像がこちら。
(ただし、家内実家の墓は大きく家名が書いてありますので、これは別の家のお墓の写真です)
さて、墓地の方ではそのランプが点いている下でビールやジュースを用意し、お参りに来てくれる親戚などに振る舞うということになっています。
しかし、今年はこの期間が大雨のようで結局はそれはやらないこととしました。
家の仏壇の方では、盆提灯は購入しこの期間は並べて点灯しています。
しかし、別に寺の僧侶に依頼して読経してもらうということもなく、また親戚が集まるということもありません。
また迎え火・送り火といったこともないようです。
私の両親の故郷は長野県南部地方ですが、そちらの初盆行事とはかなり差があるようです。
私自身は長野に住んでいたわけではなく、祖母の初盆に行った程度の経験です。
迎え火・送り火、その他の行事はもれなくやっていたように思います。
また、印象的だったのは親戚や隣近所を招いての振る舞いがあり、その場で菩提寺僧侶の読経もあります。
また、そればかりでなく家人(特に主人)の勤め先の上司同僚と言った方々までお参りに来るというもので、招く方も招かれる方も大変な騒ぎのようでした。
この行事のものすごさは特に外から来た人には印象的なようで「飯田の新盆見舞い」ということでブログなどを書いている方が多数あるようです。
ただし、家の墓所の方は掃除には行くもののさほどの意識は向けられなかったように思います。
その辺がこちらの風習との最大の相違点で、「仏様の霊魂は盆の間家に戻ってくるのになんで墓で迎えるのかな」と単純に疑問に思っていました。
さて、当地の仏教宗派はほぼすべてが浄土真宗です。
本願寺派と大谷派というのはそれぞれ分かれていますが、それでも住民のほとんどはいずれかの浄土真宗の門徒です。
旧幕藩時代に支配階級であった藩士は生まれ故郷からの宗派のままだったようで、市内にも数軒、曹洞宗、臨済宗、天台真言といった寺院もありますが、ほかの寺院はほぼ浄土真宗です。
そこで浄土真宗でお盆はどのように考えているのかを調べてみました。
すると何と、「浄土真宗では仏様は浄土で成仏しており盆で家に帰ることはない」ということではないですか。
それならこの辺の初盆の風習と言うのは何なのでしょう。
お墓どころか家にも帰ってくるものではないのでしょうか。
ほとんど分かりませんが、どうやら浄土真宗がこのあたりに広まった時期以前に信仰されていた別の宗派の風習がそのまま残っており、浄土真宗としてもあえてそれを否定まではしなかったということでしょう。
それほど根強かったのが盆行事というものなのかもしれません。
なお、調べてみると初盆時期に墓地に提灯を下げるという風習が残っているところもあるようで、長崎の写真が紹介されていました。
これが電気が普及したころからこのあたりでは電燈に代わったのでしょう。
以上、異郷出身者にとってはちょっと不可思議な八代の初盆風景でした。