爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「偽書が揺るがせた日本史」原田実著

現在進行の事実でもいくらでもフェイクがあるということが明らかになっていますが、歴史を文字で記録するということが始まってすぐに「偽物の歴史」を書いた「偽書」というものが現れました。

 

何らかの思惑や個人的な目的で偽書を作るという行為は数限りなく行われてきたようです。

 

この本では日本史を様々に揺り動かしてきた偽書というものを描きます。

 

偽書ではない歴史というものは正史でしょうが、日本書紀以降の正史というものがすべて正しい事実だけを書いているわけではないことも明らかです。

しかし、正史というものを作り出した当時の朝廷は、それ以外の歴史を書いたものを厳しく取り締まりました。

異伝と呼んで天皇自ら詔を出し、こういった歴史本を集めて焼却しました。

 

しかし、これ以降の時代には意味の違った「偽書」というものが次々と作り出されました。

 

偽書から出たとは認識されないまま、教科書などにも出てきた言葉もいくつもあります。

東照宮御遺訓なるものがあり、「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くがごとし」という文句は聞き覚えのあるものです。

これは徳川光圀の言葉として広まっていたのですが、幕末になって白隠という禅僧が実は家康の言葉だったとして自著に掲載する形で出版しました。

そして明治になって池田某という元旗本がその言葉にさらに家康の書名と花押を付けて体裁を整え東照宮に奉納したそうです。

 

偽書といっても、室町までの中世と江戸時代以降の近世ではその意味が大きく変わりました。

中世的偽書とは、家や集団などが他の集団との競争が生じた場合、古くからその権利が自らに許されていたと主張するために作られたことが多かったようです。

かつての天皇からの勅許状を偽作し、昔からその権利は自分たちにあったのだと主張して有利に運ぼうという意図で作られました。

それに対し、江戸時代には自分の歴史の観念を具現化するために作り出してしまうというものが出てきます。

もちろん、江戸期にも中世的性格の偽書、たとえば職人たちが自集団の権利を主張するといったものや、偽系図などもありますが、個人の歴史観の発露として生涯を偽書つくりに費やしたという、京都の沢田源内といった人物のような例が出てきます。

 

徳川家光が農民統制のために発したとされる「慶安御触書」はかつては歴史教科書にも取り上げられていました。

しかし、1990年代になり信州大学の山本教授が画期的な研究を行いました。

慶安御触書というものは江戸前期に発令されたものではなく、甲斐国の藤帯刀によって作られた「百姓身持之諸覚書」というものが元になったものでした。

藤が甲府藩内に発布したものが徐々に他藩でも取り入れられたのですが、幕末になりあたかも慶安時代に発布されたもののように広められたそうです。

 

明治以降にも偽書が「発見された」として発表されるということが頻発しました。

竹内文書、中山文庫、東日流外三郡史、富士宮下文書など、多くのものが取り上げられ、歴史界も巻き込まれることになります。

オウム真理教などは、その教義とされるものは偽書の内容の寄せ集めだったとも言えるようです。

さらに、今では「フェイクニュース」として出版の形ではなくネットで広まるものまで出てきました。

 

フェイクニュースを体制批判に使えるのではないかということを言う人も居るようです。

しかし、フェイクニュース自体が体制側が流したニセ情報である可能性がある以上、体制批判はフェイクではなく真実を持って行うべきだということです。

 

歴史を知っていくと、ちょっと作って見たくなる偽の歴史ですが、やはり小説だけにとどめておくべきなのでしょう。