京都は長い日本の歴史の中で大半と言えるほどの期間、日本の中心であり続けました。
そういった京都の歴史を最初から最後までたどってやろうという本です。
とはいえ、その多くの期間ではほとんど京都の歴史が日本全体の歴史ともいえる状態であり、日本の歴史を見ているかのように感じられるものです。
著者のお二人は夫婦で歴史学を修めてきたという方ですが、さすがに共著というのは初めてだったようです。
その意味でも特別な意味のある本だったのかもしれません。
冒頭には各時代の京都の地図が掲載されています。
原始・古代の遺跡の分布図から、平安京、そして鎌倉、室町、江戸と移り変わっていくのですが、よく知られているように平安京が建てられた当時には右京左京がバランスよく配置されていたはずが、西半分はすぐに放棄されることとなり、どんどんと東側に偏っていく様がはっきりと分かります。
政治的には平安時代の京都が最も権力が集中していたのでしょうが、鎌倉時代以降になると経済的に栄えていくようになります。
商業活動が盛んになるだけでなく、様々な工業も京都を中心に栄えていくようになります。
室町期以降になると刀剣の製造も京都が中心となります。
その当時は中国との貿易も盛んになるのですが、日本からの輸出品として重要であったのが刀剣でした。
なお、大量生産の安物は奈良で作られていたそうです。
室町時代には債権放棄を求める徳政一揆というものが頻発しました。
借金をする側は徳政令を求めて一揆を起こすのですが、京都は逆に金を貸す側であることが多く、債権確認、反徳政を求める立場でした。
徳政令の頻発に対し、御用商人たちは徳政免除権を獲得して対抗しました。
それを都市全体に広げたのが永正17年(1520年)の大山崎のものでした。
管領細川高国に対し阿波から攻めあがった細川澄元・三好之長は道筋の一帯を味方に付けようと利益誘導をしました。それが、農村には徳政令発布を約束し、都市部には徳政免除を約束するというものでした。
高国に勝っている間は農村の西岡惣中に徳政令発布、その後大山崎惣中に徳政免除の書状を送り、ただし一揆が押し寄せたら自分たちで防戦せよと言うだけというものでした。
案の定、勢いを盛り返した高国によって逆転されました。
江戸時代になると政治の中心が江戸に移るとともに、経済の中心も大坂に移ります。
これは北前船が直接大阪湾にまで入ることで変化したことでした。
そのため京都は学問や文化の中心として栄えることとなります。
この傾向は明治以降も続くこととなります。
今は観光客で溢れかえる京都となってしまいました。
なかなか落ち着いて巡るのは難しいかもしれません。