爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『戦争体験』の戦後史」福間良明著

「戦争体験」といっても現在では高齢者でも戦争時にはせいぜい子供だったということで、戦争の全体像を掴むことは難しくなりました。

しかし、戦後すぐから戦争体験を語る人は居たものの、やはり様々な要因でそこには人により大きな違いがあり、また周囲の想いも多種であったようです。

 

「きけわだつみのこえ」という戦没者遺稿集が有名ですが、本書もこれを中心にたどっていくことになります。

 

しかし「きけわだつみのこえ」に先立ち、1947年12月に「はるかなる山河に」という本が出版されました。これは東京帝大出身の戦没学徒兵の遺稿をまとめたものでした。

この本が非常に大きな話題を呼び、売れ行きも良かったために出版元の東大協同組合出版部はそれを発展させた形の本を出版しました。

それが「きけわだつみのこえ」で、東京帝大だけでなく全国の大学・専門学校出身の戦没者の遺稿を集めたものでした。

この本はさらに注目を集め大きな話題となります。

1950年にはこの内容を編集した映画も作成されました。

 

この遺稿を書いたのは戦争で亡くなった兵士たちのうちのごく一部、学徒出陣で出征した学生出身の学徒兵でした。

当時はまだ大学などの高等教育を受けるのは人口の数%に過ぎず、超エリートと言える人々でした。

「にもかかわらず」か「だからこそ」か、それでも多くの人の心を捉え読まれたのでしょう。

多くの一般兵士の意識とは少し違ったかもしれません。

 

こう言った点をとらえての批判は、少し年上のエリート知識人からも向けられました。

昭和前期までに高等教育を受けた人々は、教養主義の中で多くの哲学などの本を読んでいましたが、学徒兵となった世代はそういった本を読む暇もなく、教養は極めて限られたものだったというところです。

 

しかし、時代は占領終了から再軍備、対米協力と進み、反戦平和という動きも強まります。

「きけわだつみのこえ」を契機として産まれた日本戦没学生記念会というものも結成されます。

その後何度も変遷を重ねますのでこれを「第1次わだつみ会」と呼びます。

これには戦没学徒の遺族といった人々ではなく、反戦活動を主とする人々が集い、そこには大学生ばかりでなく高校生も参加するようになります。

 

また、ちょうど学徒兵となった世代が「戦中派」を意識したのもこの時代でした。

最初は「戦前派」「戦後派」という色分けだったものが、やはり何か違うという意識が強くなったものです。

しかし、あっという間にその下の世代が圧倒的に強く出てくるようになります。

 

わだつみなどがあくまでもエリート出身の意識を発信したのに対し、大部分を占めた農民出身兵士の遺稿を集めたものも出版されます。

1961年になってのことですが、「戦没農民兵士の手紙」という本が岩手県などの出身の戦没兵士などの手紙を集めて編集されました。

ただし、戦死したという事実は悲劇的なものの、戦地では庶民の虐殺なども無批判に行っていることなど、批判を集めた面もありました。

 

その後、学生運動が活発となるとわだつみ会も退会者が続出し力を失います。

しかし、その「第3次わだつみ会」を事務局長として取り仕切った渡辺清という人物は特異な性格の持ち主でした。

彼は昭和天皇の戦争責任を追及するということに力を入れます。

1971年の機関紙「わだつみの声」から天皇批判を続けました。

これには渡辺自身の戦争体験が強く反映しています。

渡辺は、わだつみ会に関わってはいたものの、大学に入っていたわけではありません。

少年兵として戦艦武蔵に乗船し、武蔵が撃沈された時には海に投げ出されたものの九死に一生を得たという経験の人物です。

そのように、多くの周囲の人物の死の中で生き残ったという経験と、それ以前は天皇のために死ぬということにまったく疑問を感じずそれに邁進していたという意識であったものが、敗戦後の天皇の行動を見て大きく違和感を膨らませていきます。

このような人物のために皆死んでいったのかという思いが、ここに来て渡辺が昭和天皇の戦争責任を強く唱える理由となりました。

 

なお、「きけわだつみの声」は1995年に再度映画化されています。

ここでは、望まずに従軍させられ戦死したという被害者意識ばかりではなく、加害者としての責任も描写されています。

しかし、あくまでも「若者へのわかりやすさ」ということを意識して作られているので、若干の違和感が年長者には感じられました。

興味深いのが登場人物は皆ラグビー部出身とされていることです。

1950年の第1作の映画では登場人物はモンテーニュの原書を講読するような教養を持つという描写でしたが、すでに大学キャンパスから教養というものが消えていた1990年代では、その方が学生らしく見えたのでしょうか。

 

「戦争体験」はしょせんは「断絶」せざるを得ないものかもしれません。