ほんの一瞬、社会の脚光を浴びたもののその後どこでどうしているのか、消えてしまったような人はたくさんいます。
福岡の新聞社、西日本新聞では1995年当時に昭和の時代に一瞬光輝に満ちたがその後埋もれてしまったという人の中で九州を中心に西日本に縁がある人のその後を尋ねるという連載を40人分実施しました。
その対象は「アウトサイダー」「異能者」とも言うべき人を選んだため、本書の副題も「アウトサイダー列伝」とされています。
名前だけは知っている人も選ばれているものの、ほとんどは初めて聞く名前という人が多かったようです。
犬童球渓、渕上毛銭、博多淡海、ジプシー・ローズといった人は名前は知っていますが、小倉龍男、北村サヨ、柏原和男、深川丈平、鷹木ヒサエ、松添健といった名前はまったく初耳でした。
小倉龍男とは、昭和14年の雑誌「改造」の小説の懸賞で入選した「新兵群像」という作品の著者で、現役の海軍兵士でした。
二冊の本を出版したものの、潜水艦で出撃したインド洋で撃沈され戦死したそうです。
深川丈平という人は、捕鯨船の砲手として生涯で7000頭を仕留めたという、最高の記録を打ち立てた人です。
腕の良い砲手は乗組員の5倍の収入を得たと言われ、故郷の五島に鯨御殿を建てました。
しかし、その後捕鯨は鯨の減少で徐々に凋落、深川も南氷洋での作業中に大けがをして引退。
故郷に戻って天寿は全うしたようです。
松添健は長崎出身で、海軍兵学校に入ったものの病気中退、その後東京工芸学校で絵画を学び画家になりました。
その後、海軍に雇われて戦争の絵を描くことを仕事とします。
まだ発表用の写真なども撮影できなかったため、真珠湾攻撃の様子なども絵画で発表しました。
松添は、海軍から提示された資料を基に半ば想像でそれらの絵を描いていたそうです。
戦争中はそのために一躍「時の人」となりましたが、敗戦後はその名ははじけて消えました。
その後は売れない絵を描くだけの生活をしていたようです。
一瞬でも光を浴びた経験というものは、その後の生活も崩してしまう例も多かったようです。
何もない平凡な生活というものの方が良かったということもあるのでしょうか。