爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「今世紀末には気温が3℃上昇」などと言う話よりよほどありそうな未来。エネルギー供給不安。

いまだに、「今世紀末には地球の気温が何℃上昇するという、〇〇(一応名のある研究機関など)の研究成果がまとまりました」などと言うニュースが流れることがあります。

よほどニュースになりそうな話題がない時の穴埋めなんでしょうが、よくもまあ、飽きないものだとあきれます。

 

今世紀末まではあと80年ほど。

私が生きていることはあり得ませんが、私の子供世代もおそらく無理。

孫の世代が高齢者となっているくらいでしょうか。

 

「そんな先の話には興味ない」という人も多いのでしょうが、私はまったく逆で「自分の孫の生きている間に来る」などと言う範囲の話は「ちょっと先」と思える方です。

500年先、1000年先といった話でも親近感を持って聞くことができるほど、想像力が旺盛なようです。

 

その眼から見ると、確かに「二酸化炭素濃度上昇による温暖化」が無いとは言えないかもしれませんが、それよりもはるかに大きな可能性のある人類の危機があります。

 

それは「エネルギー供給不安」です。

 

オイルピーク説というものがあり、もともと古生代から中生代に地上に生きた生物の遺体が地中に埋もれてエネルギー資源となった、いわゆる「化石燃料」は無尽蔵ではありえず、いずれは供給が減っていくのですが、それがすでに近づいているという話です。

 

オイルピークというのは重油の供給が最大となる時期を示し、それを過ぎると徐々に供給できなくなるというものです。

そのピークはすでに過ぎているという話もあります。

となると、これまでに石油を使ってきたのはせいぜい100年、それと同じ使用量であってもあと100年、今の非常に多くなった使用量ではそれ以前に供給が途絶えることになります。

 

これには根強い批判や反論も多く、新たな油田の発見もあり数百年は持つという学説が一番賛成を集めているものでしょうか。

 

しかし「あと数百年は持つ」というのがなぜ「だから安心」になるのでしょうか。

数百年先にはどうせ自分は生きていないし近親者も居ないから良いということでしょうか。

それとも数百年もあれば新エネルギーがきっと開発できるから心配ないということでしょうか。

 

どちらもとても人類の運命を託すにはあまりにも無責任な態度のように思えます。

 

おそらく、あと100年もしないうちに、石油や石炭、天然ガス化石燃料はほとんど供給されなくなるでしょう。

そして、その時に代替となるべき「自然エネルギー」は結局ほとんど使い物にならないということが否応なしに証明され、せいぜい電燈を灯すに足る程度の小規模水力発電風力発電のみが実用化されていることでしょう。

 

その理由は、確かにそういった自然エネルギーというものは周りに溢れているように見えますが、あまりにも「薄すぎるエネルギー」であり、それを石油や石炭のように使うためには巨大な装置(あの風車や一面に広がる太陽光発電装置を思い浮かべれば分かるでしょう)で集めなければならないということです。

そこには莫大な設備製造が必要となります。

それに、巨額の投資が必要となるのはもちろんですが、それは「エネルギーの消費」であることも間違いありません。

巨大装置を作るためには、多くの資材が必要となりますが、それらの資材を製造するにも莫大なエネルギーが必要となります。

何十mもある風車の羽にはどれだけの鉄材が使われるのでしょうか。

これに「プラスチック」を使うなどと言うのは悪い冗談でしかありません。

「石油」の消費量を減らす目的のはずがなぜ「プラスチック」を使えるのでしょう。

 

このように、「エネルギー供給不安」の時代は必ずやってくるのですが、それがどのように現れるのかを予想してみましょう。

 

まず、石油の供給減少が始まると、石油製品価格の高騰が起きます。

これですぐに影響を受けるのは運輸機関でしょう。

トラック輸送や飛行機会社の採算確保が難しくなります。

結局、輸送費や運賃も上げざるを得ず移動が難しくなっていきます。

 

石油の高騰は、それを使っているプラスチック製品の高騰にもつながります。

今は温暖化防止やらプラゴミ汚染の防止といった目標を無理やり作ってプラスチック削減を進めるとしていますが、そんな無理をしなくても削減せざるを得なくなります。

 

ここまでで、現在の石油文明の形は相当変わっていかなければならなくなるでしょう。

 「グローバル化」などという砂上の楼閣は、通信技術の大きな進歩という一面もありますが、それ以上に「安価に物を運べる体制」であることが必須です。

いくら労働力が安い途上国で製造しようが、タダ同然の運送費で地球上のどこにでも運べなければ何にもなりません。

それを許しているのが、現在の無視できるほどの運送費を可能としている燃料コストです。

それが石油などの高騰で輸送費も上昇すればどうなるでしょうか。

 

私が一番危惧しているのが、そのような危機が世界を揺るがすより早く表面化しそうな「軍事面での燃料欠乏」です。

軍事兵器は現在では大きく言って、ミサイル、航空機、艦船、地上車両でしょう。

詳しくは分りませんが、石油系の燃料が不可欠であるのは、航空機と地上車両でしょう。

航空機が電池で飛ぶなどと言うのは、実験的なものはあってもまず実用にはならないでしょう。

地上車両も、電池化がされたとしても、戦場で何時間もかけて充電するつもりでしょうか。

このような燃料の供給が不十分となったらどうなるか。

「まだ使える間に決戦」という思考に陥る国家指導者が無いとは言えません。

あるいは、「敵国が燃料不足になったので今がチャンス」と考えるかもしれません。

いずれにせよ、戦争の危険が迫っていると言えるでしょう。

 

他にも多くの危険が予測できます。

とても、何十年先の気温アップなどとは比べ物にならない危機と言えるでしょう。

これを避けるためにも、このブログで何度も強調している「脱エネルギー社会構築」に向けて進むべきなのです。