爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「鉄道快適化物語」小島英俊著

今の鉄道の旅はかなり楽になっており、ほんの数時間で東京から大阪まで、しかも苦痛もほとんどなく(まあ心理的には苦しい人もいるようですが)旅することができるようになりました。

また、何十万円もの費用で旅行をできる高級クルーズトレインなるものも出現しています。

 

しかし、鉄道の旅の始めの頃は身体的にも心理的にも大変な苦痛にさらされていたようです。

それが多くの技術と費用をかけて改善されてきました。

そういった歴史を「筋金入りの鉄道ファン」小島さんが解説していきます。

 

「鉄道旅行の快適化」というと、客車の設備や混雑ぶりなどを思いますが、そのほかにも乗り心地、旅行全般のサービス、さらに「列車の速度」そして「安全」まで多くの面での改善がなされてきました。

 

日本の鉄道は最初から狭い線路幅、小型の車両で始まったため、座席の狭さというものもひどかったようです。

現在の新幹線N700系では普通車の一人当たり面積が0.69㎡ですが、開業当時の下等車ではそれが0.26㎡しかありませんでした。

実に3分の1しかなかったと思えばその狭さも想像できるでしょう。

明治時代初期の人々の体格は小さかったとはいえ、やはりきつい思いをしたのでしょう。

 

夜間も走る鉄道としては、車内の照明も重要です。

最初の頃は「蝋燭・ランプ」でした。

それが少し進歩してガス灯へ、さらに電燈へと変わっていきました。

初期の鉄道では各地に私鉄が発展しましたが、その中でも最も先進的な姿勢であった山陽鉄道では1897年に石油発動機を積んだ貨車を連結しその電気で電燈をともすということを始めました。

戦後になって蛍光灯への転換が始まったのですが、実は蛍光灯は直流電源では使えません。

日本の鉄道の主要部は直流電源運行であったので、なかなか蛍光灯への転換は難しかったようです。

1952年登場のスロ54型二等客車で蛍光灯を付けた時には床下の発電機で直流を得てそれをインバーターで交流化するという手間がかかったそうです。

 

列車にも等級制があり、日本は身分制の強かったイギリスなどの影響から最初は三等級制度でした。

しかし、日本では一等、二等に乗る客の数は少なく、連結されている列車でもそれらの車両はガラガラ、三等車はすし詰めという状況だったようです。

その後、グリーン車という制度になりました。

グリーン車も関東地区では普通列車にも連結されていますが、関西地区ではほとんどないようです。

これは、私鉄との競争が激しいからだということです。

なお、JR東日本東北新幹線グランクラスというグリーン車より高級な車両を走らせました。

これは実質的には昔の三等級制に帰ったものと見なせるということです。

 

安全で事故のない運行が「快適」の最たるものかもしれません。

しかし大事故はずっと発生し続けていました。

近いところではJR西日本で通勤電車が脱線転覆し100人以上の死者を出したのも記憶に新しいところです。

かつてはブレーキ性能が悪かったり、信号設備が不備での衝突事故なども頻発していました。

また、木造車両のために火災で多数の死者と言う事故も起きました。

こういった事故に対して設備の改善などは続けられてきました。

それ以上に高速化、大量輸送が進んでいますので、今後も事故は起きるでしょうがその努力は続けられるのでしょう。

 

私の子供の頃(60年近く前)でも今とは違いかなり大変だったのが鉄道旅行でした。

それでも、ほんの少しですがあの頃を懐かしく思う気持ちもあります。

 

鉄道快適化物語: 苦痛から快楽へ

鉄道快適化物語: 苦痛から快楽へ

  • 作者:小島 英俊
  • 発売日: 2018/09/20
  • メディア: 単行本