爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「鉄道の食事の歴史物語」ジェリ・クィンジオ著

鉄道での食事と言えば日本人にとっては駅弁が思い起こされます。

また、最近はJR各社などで美味しい食事を売り物にした豪華列車の旅といったものも相次いで売り出されています。

しかし欧米諸国でいえばオリエント急行アメリカの20世紀特急といった一等車だけの列車での豪華なディナーというものがかつては上層階級の旅行を彩るものでした。

 

とはいえ、鉄道が開通し人を乗せて走り出した頃の乗客たちの食事事情というものは悲惨なものでした。

1820年代にイギリスで最初に蒸気機関車が走り始め、またたくまに路線が広がり貨物だけでなく旅客も乗れるようになったのですが、初期には食事をするどころかトイレもありませんでした。

乗客たちは駅に到着すると走ってトイレと軽食を求めましたが、食事の方はひどい内容で、不味いだけならまだしも、傷んでいるようなものまで出てきました。

それも口に入ればまだ良い方で、食べようとすると車掌が出発の合図をするので汽車に飛び乗るという有様でした。

残った食べ物はまた次の汽車の乗客にそのまま出されるということです。

 

19世紀も後半になると、汽車で旅行する人々が増加したためそれを目当てにした事業も盛んになっていきます。

汽車の終着駅の前にはターミナルホテルと呼ばれる豪華なホテルが建てられ、そこで食事を取ってさらに汽車を乗り継ぐということが許される人々にとっては優雅な旅行も可能となっていきました。

 

そして1868年になり、ジョージ・M・プルマンが初めての食堂車を作り運行させます。

ニューヨークにある高級なレストランの名を取りデルモニコと名付けられたその食堂車はシカゴ・オールトン鉄道で運行されました。

プルマンは少年時代から様々な事業を立ち上げ成功させてきましたが、鉄道のサービス向上にも意欲を持ち、寝台車の改造やホテルカーという豪華車両の製造に続き、食堂車の製造とサービスにも取り組みました。

ウミガメのスープコンソメ、魚料理肉料理、新鮮な果物とスイーツを取り揃え、それにふさわしいワインも飲めるようなものでした。

 

ヨーロッパでも富裕層向けの列車が求められ、ホテル経営者のセザール・リッツとシェフのオーギュスト・エスコフィエがその先陣を切りました。

さらにベルギー出身の実業家ジョルジュ・ナゲルマケールスが国際的な車両事業会社ワゴン・リ社を設立しましたが、これはアメリカにおけるプルマンの活躍に刺激されてのことでした。

ただし、アメリカのプルマンの車両は開放式の寝台でしたが、ヨーロッパではそれは好まれないためにコンパートメント方式で作られました。

このワゴン・リ社が運営する列車がオリエント急行と呼ばれるようになる最初のものでした。

この列車の目玉はなんといっても食堂車で、料理は当時の高級レストランで供されるものとほぼ同じ、それを車内ですべて調理していました。

 

第一次大戦はヨーロッパでは鉄道も大きく痛手を被りましたがその復旧が成ると共に鉄道の黄金時代が訪れました。

オリエント急行や20世紀特急といった看板列車は豪華に再登場しました。

ただし、一方ではそこまで飾り立てるものではなくスリム化したものが求められるようになったのも時代の特性でした。

1920年代にはアメリカではのべ10億人が乗車しました。

当時はすでに自動車が登場し、また飛行機も姿を現していましたが、まだそれらが鉄道の王座を奪うことになるとは予想もされませんでした。

ただしアメリカでは禁酒法施行が食堂車のメニューに影を落としました。

さらに大恐慌が襲い掛かり乗客数も激減してしまいます。

そして第二次世界大戦がヨーロッパの鉄道を破壊してしまいます。

鉄道施設や列車は攻撃の対象となり、車両は軍用に徴発されます。

アメリカでは被害はなかったものの軍用の利用が多くなり一般市民の旅行は制限されるようになりました。

 

終戦アメリカでは鉄道の速やかな復活をもたらしたのですが、そこで再登場した豪華列車も乗客が押し寄せたのはごく短い期間でしかありませんでした。

旅行というものが飛行機と自動車へ移ってしまい、鉄道利用の魅力がほとんど失われてしまいました。

早くも1950年代には多くの鉄道会社では豪華列車などは廃止し、食堂車サービスも廃止または縮小するようになります。

ヨーロッパでは鉄道の復旧に時間がかかったため、すでに復活した頃には鉄道の時代は終わりかけていました。

また東西冷戦のために思うようなルートが取れなくなりさらに魅力が薄れてしまいます。

欧米では鉄道博物館が公設私設を問わず数多く作られていますが、もはや鉄道というものはそこにしか存在しないかのように衰退してしまいました。

都市周辺の通勤列車は辛うじて残っていますがそこでは食堂車サービスなどは期待できません。

豪華な食堂車でゆったりと食事を楽しむということはもはや昔話だけになってしまったかのようです。