爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「動物に『心』は必要か 擬人主義に立ち向かう」渡辺博著

心理学の世界の中では、動物にも人間のような「心」があるかのように研究を進める「擬人主義」という一群があります。

著者は心理学者としてそのような擬人主義とは相容れない立場からその歴史から説き起こし批判を加えます。

 

本書の序にもあるように、100年前に心理学者は擬人主義とメンタリズムを心理学の世界から放逐したはずでした。

しかし、擬人主義は現在着々と蘇りつつあるということです。

ドゥ・ヴァ―ルもその論者の一人ですが、彼も動物ならなんでも擬人化しているわけではなく、大型類人猿に限っての話です。

しかし、もしも大型類人猿を認めてしまえば次はどこまで認めるか、その線引きは困難となるでしょう。

そこで、本書で擬人主義の起源を探りどこにその問題点があるかを明らかにしようとしています。

 

心理学はあくまでも人間の心を扱うのですが、それはどうしても進化と言うものと関わってきます。

人間が心を持ったのはいつからか。

200万年前に他の類人猿と進む道を違えたときからか。

もっと新しい時代になるのかもしれません。

いずれにせよ、進化論というものが大きな意味を持ってきます。

 

その境界を越えて動物にも心というものを認める心理学者はすでに19世紀には出現していました。

イギリスのロマネス、モルガンたちは動物心理学というものを確立してきました。

彼らは神経系の作用についても実験を通して思考しており、それが人間と動物の心理学の連続性を担保していることになります。

実験心理学者のヴント、そしてあの有名な馬のハンスも関わってきます。

 

何かを何かに擬して考えるのが擬X主義だと言えます。

そのXにはさまざまのものが入りますが、無生物を生物に擬するのが擬生物主義、つまりアニミズムです。

動物を人間に擬するのが擬人主義ということになります。

動物の心を人間の心からの外挿として仮定し、動物行動をその心によって説明しようとするのはメンタリズムと言います。

その「動物」が「すべての動物」か「ある特定の動物か」によっても違いますが、もしも類人猿だけを対象としてもその段階は種によりかなり違いますのではやり線引きがあいまいとなります。

 

心理学的手法としての擬人主義には批判を向けても、一般にペットの動物に心理的に移入することはあり得ます。

またイルカやクジラに心を感じる人は多いでしょう。

ただし、キリスト教思想のように動物と人間の差を大きくして動物は機械同様人間に奉仕するとのみ決めている思想ではそれとは逆の心理が作用します。

屠殺して肉を食べる動物には心は感じないのでしょう。

 

心理学の世界の中でもホットな論争のある部分についての解説で、非常に難解な領域であると感じます。

門外漢が的外れな解釈をしても間違いがありそうですので、この辺にしておきます。

 

動物に「心」は必要か: 擬人主義に立ち向かう

動物に「心」は必要か: 擬人主義に立ち向かう

  • 作者:渡辺 茂
  • 発売日: 2019/12/27
  • メディア: 単行本