爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「文豪の凄い語彙力」山口謡司著

日本語にも同意語というものが多数存在しますが、それらは完全に同意であるということはなく、微妙にその意味や使用法が異なるものです。

文豪と言われる、多くの作家たちはそのような同じような意味の言葉を、それでもしっかりと使い分け、さらにこのところしばらく使われていなかったような言葉でも使ってその作品を仕上げているということが多いようです。

 

この本では、明治以降の文豪と言われる作家たちが、ちょっと一般に使われている言葉とは違いものを使ってその作品とした例を挙げ、作家たちにとって一般的に流通している言葉とは少し違う使用例を確立していったところを描いています。

 

なお、その「言葉に焦点を合わせる」方向性は一緒としても、やや違う使い方をしている場合等、タイプごとに分けて例示しています。

 

「糖衣を脱いだ地声」という文を、幸田文さんが使っています。

来客と思えた来訪者が、女中の募集にこたえて来たものだと知った途端、作り声は捨てて地声に戻ったときの描写ですが、それまでの未知の来客用の少し作った声質の言い方を、すぐに捨てていつもの地声に戻った様子を描いたものです。

「糖衣」とは、薬などでも見かけますが、苦い本体を隠すために砂糖の層を付着させるというもので、「糖衣錠」といった言葉ではよく見かけるものです。

しかし、これを来客用の作り声に使った幸田さんの用法は独特かもしれません。

なお、最近では「オブラートに包む」という方が普通かもしれません。

ただし、「オブラート」自体すでに死語に近づいているかも知れませんが。

 

吉川英治が里の低いながらになだらかな山を「秀雅な山」と表現しています。

明治期までは雅な文章表現を「秀雅」と表現することもあったようです。

今ではあまり使われなくなってしまいました。

なお、「雅」を使った言葉で「雅致」というものがあります。

現在では、相撲やプロレスなどの真剣勝負のことを「ガチ」と表すことがありますが、それとは全く逆の意味を著します。

ちなみに、「雅致」の発音は鼻濁音のng音から始まり、「ガチ」の尖ったG音とは発音もまったく異なります。

なお、江戸に鼻濁音以外のG音が入り込んだのは、天明の大飢饉のときに東北から多くの人が江戸に逃げてきたときからだということです。

特に銭湯で客の背中を流す三助が東北出身者だったとか。

彼らが、鼻濁音が発音できずにG音ばかりだったそうです。

 

 宮本百合子の「前進的な勢力の結集」には、「左袒」という言葉が出てきます。

中国の前漢の時代に劉邦亡き後に呂后専制の時代があり、呂后が死去した後に呂氏を一気に葬り去ろうとした周勃が、旗揚げをしたときに「呂氏につく者は右袒せよ、劉氏につく者は左袒せよ」と迫り、全軍が左袒したという故事から、「味方になる」という意味に使われます。

「加担」という言葉に近い意味ですが、加担では積極的に手を貸すことまで含みますが、左袒では力を貸すまで至らなくても味方になることを表明するだけでも可です。

 

本書では、このような数々の言葉を、それに使われている文字の原義にまでさかのぼって解説されています。

それらの言葉を使った文豪たちがそこまで詳細に考えて使ったかどうかは分かりませんが、同義語でも微妙な意味の差がある場合が多いので、心して使いたいものです。

 

文豪の凄い語彙力

文豪の凄い語彙力