最近は日本語にしてわずか140文字以下の文章を「つぶやく」ツイッターなるものが大流行です。
しかし、はっきり言ってその大半は、深さが無い、味がなさすぎる、そして遊び心に欠けている。(著者の意見です)
ところが、かつての文豪と言う人々はごく短いフレーズにも命を懸けて想いを詰め込みました。
そのわずかな文で人の心を揺さぶったのでした。
そのような「文豪のぼやき」を取り上げてみました。
「生まれて、すみません」
これは太宰治の文学をそのまま象徴するような言葉として有名で、太宰の短篇小説集「二十世紀旗手」の副題ともなっているものです。
しかしこれは太宰治のオリジナルではないそうです。
寺内寿太郎という詩人の作品にあるもので、寺内の従兄弟である山岸外史が太宰と文学仲間だったそうです。
山岸と太宰は文章を互いに使い合うほどの仲で、寺内の文章を山岸のものと勘違いした太宰が黙って使ってしまったということのようです。
山岸から寺内の怒りを聞いた太宰はうろたえたそうですが、そのままとなり、それを抱えたまま自殺で終わりました。
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」
マッチは日本では明治時代から普及しました。
その用途の第一はガスコンロに火をつけることだったのですが、それ以上に重要だったのがタバコに火をつけるというものです。
芥川はヘビースモーカーでした。
しかしその一本を吸うためには必ずマッチを一本すらなければならない。
たまたま近くにタバコを吸っている人がいれば貰い火でつけることもできないでは無いのですが、通常は必ずマッチをすります。
本の執筆の際に滞れば必ずタバコを一服する。そこに不可欠なマッチという存在です。
このような文豪たちのつぶやき、ぼやきについてのエッセーなのですが、著者の山口さんは漢字の字源についても興味が深いようで、その記述も数多く含まれていました。
ただし漢字の字義の深いところまで考えて使った人がどれほどいるかはわかりませんが。