爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

水俣病救済特別措置法成立から10年、まだ救済には程遠い

水俣病救済特別措置法が成立して、7月8日でちょうど10年だそうです。

熊本のテレビでは報道されていましたが、全国ではどうだったでしょうか。

水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法

 

これがどういうものかと言うと、1950年代から発生が知られていた水俣地区の病気がメチル水銀によるものであり、チッソ(当時は新日本窒素)の排水に含まれる水銀が原因とわかったのが1960年代、そして、水俣病と認定する基準ができたのが、1971年でした。

水俣病 - Wikipedia

しかし、この認定基準は条件が厳しすぎるもので、それで認定された患者はわずか3000人弱に過ぎません。

そのため、認定に漏れた患者たちが国やチッソを相手取っての裁判が続けられてきました。

その人々に不十分ながらも給付をするというのが、1995年村山内閣のときの和解案でした。

12000人以上の人に一時金が支払われました。

 

しかし、それでも救済をされなかった人々が多かったために、さらに裁判が続けられました。

その救済のために2009年に作られたのが救済特別措置法だったわけです。

 

しかし、この特措法でも認定されない人たちがまだ残っています。

その人達の起こした裁判がまだ続いています。

 

水俣病が知られるようになっても、それがメチル水銀によるものだということが確定するまでには長い年月がかかったということは多くの記録に残っています。

それがなぜかということも記録されており、会社や国などが多くの金と人を注ぎ込んで責任逃れと先送りに終始したことが明らかにされています。

しかし、その後の患者の救済と補償も極めて乏しいものでしかありません。

 

それにしても、不十分としか言えない未認定患者救済ですが、それでもそれを実施できたのは村山内閣と、民主党内閣の時だけだというのは偶然ではないでしょう。

このような最低限の処置でも自民党ではできないということなのでしょう。

いろいろと考えさせられる日でした。