爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より、「憲法の日に寄せて」

いつもお世話になっております、「内田樹の研究室」今回は「憲法の日に寄せて」と題されています。

blog.tatsuru.com内田さんは、加藤典洋さんという方の書かれた「九条入門」という本を読み、非常に感銘を受け、それに自論を付け加えて書かれたということです。

 

加藤さんの主張は「憲法一条と九条はセット」というものです。

つまり、天皇に関する規定と戦争放棄は一組のものとして成立したということです。

 

終戦直後の勝利者の連合国側では、大半が日本の天皇制の存続には否定的でした。

終戦直前のアメリカのギャラップ世論調査では、

1945年6月29日(終戦の6週間前)のギャラップによる世論調査では、天皇の処遇をめぐって、アメリカ市民の33%が処刑、37%が「裁判にかける・終身刑・追放」に賛成で、「不問に付す・傀儡として利用する」と回答したものは7%に過ぎなかった。

というように、ほとんどが天皇は処刑か裁判にかけて終身刑・追放すべしという意見だったようです。

 

これについては、連合国の主要メンバーが構成した「極東委員会」各国でも同様でした。

委員国は英・米・仏・ソ・中華民国・オランダ・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・フィリピン・インドの11カ国。極東国際軍事裁判東京裁判)の判事の選任についてもこの11か国が権利を持っていた。
メンバーの中では、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続につよい警戒心を示していた。

 本来は日本占領とその統治の最高決定権はこの極東委員会が握るはずでした。

しかし、軍部が終戦直後に進駐し、そのまま居座ったGHQはほとんどがアメリカ軍が占めており、その司令官のマッカーサーは別の考えを持っていました。

 

極東委員会だけでなく、自国アメリカの国務省も知らないうちに日本国憲法案を作り、制定の手続きを取ってしまいました。

これは、GHQの職権では無かったために、日本国民に作らせた形にせざるを得なかったのですが、周知の通りにGHQがすべて書いたものです。

 

マッカーサーがなぜそこまで急いだか。

詳述してありますが、彼が日本占領の道筋を手早く決めて帰国し、その手柄を基にアメリカ大統領選に立候補しようとしたからだということです。

 

マッカーサーが来日以来観察した結果、天皇を裁判にかけるだけでも日本国民の反感は非常に強くなり、まして処刑などということになれば、武力蜂起の危険性も高いと判断しました。

そのためもあり、憲法一条には天皇条項を置き天皇制の存置を保障し、日本人の抵抗を抑えるというものです。

そして、それに不満を抱く各国、特にソ連やオーストラリア、ニュージーランドなどの天皇に警戒を持つ国をなだめるために、憲法9条を入れたのだとか。

 

ここが天皇の免罪という「非常識な」政策を正当化するためには、それに釣り合うほどに「非常識」な政策によって、均衡をとる必要があった。
「それは、現人神である天皇から大権を剥奪する、そして戦争犯罪人である天皇から大罪を免じる、という国内社会と国際社会の双方で、二様に『神をも恐れぬ』行動に出ることと釣り合い、相殺し合う、もう一つの『神をも恐れぬ』、『極端な』条項でなければならない」(104頁)加藤の卓見というところなのでしょう。

天皇制の存続というものが「非常識」であったという感覚が現在の日本人には欠けていますが、実はそこまで追い込まれた状況だったということです。

その「非常識な」天皇制存続を連合国に納得させるために、「さらに非常識な」全面的な武力放棄を置いたのです。

 

まあ、その後の思いもしなかった事情の変化であたかも9条だけがおかしいような議論になってきました。

かつては「憲法一条の没道犠牲」を「憲法九条の道義性」が補償していた。
いまは「憲法九条の道義性の空洞化」を「憲法一条の道義性の充実」が補填している
のである。

というようなことを、内田さんが神戸新聞の取材でしゃべったけれど、あまりにも変な話なので編集カットで新聞には載らなかったそうです。

面白い話ですが、これこそ真実と思わせるような内容だと思います。