著者の高見さんは、憲法が専門の法学者です。
そんな高見さんが、安倍内閣が進める憲法改正について、そのあまりにも粗雑な進め方に危機感を持ち、「憲法改正とは何だろうか」という基本を世に問うたものです。
憲法とは何か、そして憲法を変えるということはどういうことか。
そもそも、憲法は変えることができるのかと言った基本中の基本から問い直しますが、最後は安倍内閣の憲法改正姿勢についての疑問もきちんと述べられており、その時点での憲法についての必要な知識をざっと概観できるようになっています。
憲法は、どんどんと変化する政治や社会の現実に対応しながらも、永続すべき価値は永続させるという意志を示すという役割があります。
(この最初の論点は、本書最後のアベの主張「社会が変わっているから憲法も変える」を初めから突き崩すことになります)
このような憲法の安定性は、それでも絶対に改正できないといった永久憲法を目指すものではありません。
ただし、やはりどこの国でも憲法というものは他の法律よりは改正ということについて厳しい手続きを設け、簡単には変更できないようにしています。
この程度により、改正手続きがより厳格にされているものを「硬い憲法」と呼ぶそうです。
日本国憲法の改正という問題については、やはり制定当時の事情が大きく影響しているようで、その説明にかなりの部分を費やしています。
最初は日本国内で明治憲法からの改正ということで準備されますが、あまりにもはかどらないことでGHQ自らが憲法案を作ったという経緯は有名なものでしょう。
しかし、新憲法の条文としての憲法改正規定は、その概要を述べただけにとどまり、重要な部分は関連法によるものとされました。
ところが、他の部分の制定に非常に手間取ったために、改正関連法案は準備されず、おって制定するということになってしまいました。
そして、それにずっと手も付けられないままとなりました。
これにようやく着手したのが、憲法改正を旗に掲げた安倍内閣となってからでした。
2007年の第1次安倍内閣で、国民投票法が成立、さらに政権復帰後の2014年に改正されました。
ただし、他の安倍内閣で制定された法律と同様、数の圧力で問答無用で成立されたものであり、多くの問題点を含むものでした。
投票権者の年齢要件、最低投票率制度を導入しなかった点、過半数の解釈、選挙運動の規制、賛否の報道の規制、公務員の選挙運動の規制など、問題となるものは非常に多いものの、そういった疑問をきちんと討議しようとする姿勢などなく、とにかく成立させました。
そのような国民投票法のもとで、今度は本丸の憲法改正に向かうかと見られた2017年当時、著者は安倍内閣の憲法改正の姿勢について多くの危惧を抱きました。
安倍は「立憲主義」に則り政治・行政を行っているとしています。
しかし、彼の概念からは「権力分立制」というものがすっぽりと抜け落ちています。
憲法は国家権力を握った者も縛るものであるという仕組みであるということは考えもしません。
権力者である自分のためのものでしかないというのが安倍の憲法観のようです。
また、現憲法は「時代にそぐわない」ということも繰り返し語られました。
時代にそぐわないだけでなく、制定当時から「押し付け憲法」であるとも言われました。
彼の言う「自主憲法」が時代に合ったものであるかのようです。
しかし、また彼は欧米の指導者との会談では西欧立憲主義諸国とは「自由と民主、基本的人権の尊重、平和主義、法の支配」という原理を共有すると言明しています。
それを日本国内では「立憲主義の諸原則はGHQ伝来の悪しきものだ」と貶め、我が国固有の文化・伝統、いわゆる「日本精神」に基づいて憲法を一新すべきだと言っています。
このような二枚舌を駆使して行おうとしているのが憲法改正です。
高見さんが安倍政権の改憲活動に対して抱いていた危惧が強く感じられた書でした。
安倍が政権を放り出し、この危機は去ったのでしょうか。そうは思えない今日この頃です。