昨年のことになりますが、内田さんが日仏会館で開かれた「憲法講演会」で、なぜ日本国憲法の護憲派と言う人々は「弱い」のかということを話されたそうです。
聴衆の中に憲法学の泰斗、樋口陽一さんがいらしたので、内田さんも相当緊張されたということですが、まあそれは良いとして。
その講演内容を掲載されています。
非常に長い文章で、読み飛ばしてしまうと重要な中身を読み落としてしまうかもしれませんが、すべてを丁寧に読むということはもはや私には難しいので、適当に拾い読みしておきます。
blog.tatsuru.com内田さんも1950年生まれということですので、現在の憲法は生まれた時から存在していたわけです。
戦前の大日本帝国憲法を知っていて、それから日本国憲法ができたことを迎えた世代の人たちには分かっていることも、その後の人々には分からないことがあるのかもしれません。
冒頭におかれている、「日本国憲法は”空語”である」と言う文章は重たいものです。
日本国憲法は単なる概念にすぎず、「絵に描いた餅」です。
それに血や肉を付けていくのはその後の国民の責務であったはずなのですが、誰もそれをやろうとしなかった。
もう一つ、そこで併記しなければいけないことが、「国家主権の回復」です。
アメリカの属国である日本には「国家主権」がありません。
安全保障は言うに及ばず、エネルギーや食料など多くの分野で自ら決めることができません。
この明白な事実はしかし政権をはじめとして国家のエスタブリッシュメントは認めていません。
国民すべてがともに努力して、「国家主権を回復」し、そしてそれが直接「憲法に血肉をつける」ということにつながっていくのでしょう。
それをしてこなかったのが「護憲派」であり、単に憲法をそのままにしておこうというだけのものであった。
したがって、ここにきて「改憲派」という連中が出てくると、かえって彼らの方がリアリティーを持っているように見えてしまった。
若い人たちがそちらに魅力を感じるのも無理はない。
ということでしょうか。
非常に明快な言葉と感じます。ただし、ちょっと長すぎるので短く要約すると説得力あるものとなるのでは。