爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「比較のなかの改憲論」辻村みよ子著

民主党政権を倒し再び政権を取り戻した頃の安倍晋三は思い上がりも甚だしく、持論であった改憲論を前面に押し出し今にも実行するかのような構えでいました。

なぜ改憲が必要かということを打ち出す中で、他国の憲法憲法改正との比較ということを例にすることも多かったようです。

ところがその例証というものがあまりにも粗雑、どこの憲法を引いているのかも分からないような乱暴な議論ばかりだったようです。

 

著者の辻村さんは憲法学者の中でも特に他国の憲法との比較が専門という、比較憲法学者ということで、メディアからの問い合わせも多かったのですが、まともに答えることもバカバカしいような思いであってもきちんとした知識が誰にも伝わっていないことを感じました。

そこで多くの人が疑問に思っているようなことを中心に他国の憲法やその改正の規定がどれほど日本と異なっているのかをまとめておこうというものです。

 

その当時、多くの問い合わせがあったのが次の7項目についてでした。

1.日本の憲法改正手続きは他の国と比べて厳格すぎるのか。

2.憲法を尊重する義務(99条)を負うのは国民か、国政の最高責任者たる首相が憲法改正を主張するのは憲法違反なのか。

3.日本国憲法は敗戦後GHQによって押し付けられたから日本国民が選びなおしをしなければならないのではないか。

4.国民の義務より自由が保障され過ぎているのではないか。

5.家族は助け合うべきと憲法に明記すべきか。

6.非武装平和主義は非現実的なので自衛隊憲法に明記すべきか。

7.国民主権を活かすためには、憲法改正の発議と国民投票による承認を多用すべきか。

 

自民党は2012年4月に憲法改正草案というものを発表しましたが、これらの項目に関する改正部分を含んでいます。

この本でもこれらの疑問点に答えていく形で進んでいきます。

 

日本国憲法はその96条で改正手続きを定めており、「各議員の総議員の三分の二以上の賛成で国会がこれを発議し国民に提案してその承認を経なければならない」としています。

この「三分の二」というのが厳しすぎるので憲法改正が一度も行われないのだといった主張が自民党から為されています。

ところが各国の憲法改正を見ても、そう簡単には改正ができないようにされています。

改正しづらい規定の国の憲法を「硬性憲法」簡単なものを「軟性憲法」というのですが、ほとんどの国では改正手続きには普通の法律改正をはるかに厳格にした硬性憲法であることが多いようです。

そんな硬性憲法であっても、これまでに多数の改正を行なっている国もありますが、各国の事情は様々であり、改正が多いから民主主義というわけでもないようです。

 

戦争放棄を定めた憲法9条が改憲論者たちの一番の対象でしょうが、日本国憲法が定められた当時は世界で唯一とも言えるものでしたが、その後多くの国で同様の規定が設けられています。

「平和条項」というものは多くの国で取り入れられており、「平和のための国際協力に参加する」といった抽象的な規定ならインド、パキスタン、中国、ロシアといった国でも持っていて、それほど実質的なものでは無いことはすぐに分かります。

他にも侵略・征服戦争を放棄するというのが、フランス、ドイツ、キューバ

国際紛争解決の手段としての戦争を放棄というのが、イタリア、フィリピン等

中立・非同盟というのが、スイス、オーストリア、マルタ、カザフスタン

核兵器禁止を明示というのが、パラオパラグアイ、コロンビア、フィリピン等

そして軍隊の不保持を明示するのが、コスタリカパナマ

コスタリカは実際に軍隊というものを廃止しました。

これに対し、日本では政府解釈の変更ということを延々と繰り広げ、実質的にはアメリカ、中国、ロシア、イギリスに次ぐ世界5位の軍備を保有しています。

 

憲法改正の手続き上、国会の発議を最終的に決定するのは国民投票とされていますが、日本国憲法ではその詳細はまったく決められていません。

各国の憲法ではこれについても様々な規定があり、最低投票率や白票の取り扱い、投票総数の過半数有権者数の過半数かなど、細かく決められているところもあります。

これを日本では法律で決定としていますが、それで良いのか。

投票数の過半数で良いとした場合、極めて投票率が低くなることもあると予想されますが、そうなると国民のごく少数の賛成で憲法改正が通ってしまうことも十分考えられることです。

また国民投票というものはイエスかノーかしか決められず、案の立て方により結果も大きく異なることが起きます。

国民が直接決めるから良いという訳ではないようで、実際にはヒトラーのような人間に利用されやすいものかもしれません。

 

このところ改憲論も下火にはなっていますが、またいつ燃え上がるか分かりません。

その時には粗雑な論議にならなければ良いのですが。