本書は1990年ごろにちょうど昭和天皇の崩御、ソ連の崩壊など日本でも世界でも一つの時代が変わろうとしていた頃に、発表された論文をまとめたものを単行本として出版し、それを10年経過した後に文庫本として出したというものです。
したがって、まえがきにもあるように、その時点でもすでに情勢は大きく変わってしまっていることが多いのですが、それでも文庫化し出版する意義はあるとしての発行だったのでしょう。
著者は熊本市出身の、在日韓国人2世で政治学者の姜尚中さんです。
非常に広範囲に活躍されている方ですので様々な発言もあるようですが、やはり日本と旧植民地との関連といった点には貴重な意見をお持ちのようです。
もはや遠い過去のような気もしますが、本書冒頭は昭和天皇の病状悪化から死去に至るまでの世相、特に報道の姿勢から語られています。
昭和天皇と言えば当然ながら太平洋戦争までの為政責任者であり、そういった点にもその治世を振り返れば言うべきことがあったはずですが、当時の報道では一切それに触れることはなく、あくまでも平和を愛する天皇としての面だけのものであったようです。
こういった報道の姿勢というものは、それを見聞きして求める国民の意識とも合致しており、政府見解も同様です。
そこには植民地として大きな関わりをした朝鮮、台湾や、戦争時に進撃して直接間接に闘った中国、東南アジアに対する意識というものを忘れたかのようなものでした。
そこをきちんと知識として共有し反省すべきところは反省するということがなければ正常なアジアとの関係というものは築けないでしょう。
また、この時期には冷戦の終結とソ連などの社会主義国の崩壊ということも起こりました。
しかし、チェコスロバキアの大統領であったハベルによれば、これは自由主義の勝利で共産主義の敗北などというものではなく、冷戦の終焉には勝利者は居ないということです。
むしろすべてのものに深刻な警告が出されていると考えるべきだということです。
そしてそこでは国民国家というシステムにもきしみが出てきていました。
その時期に合わせるかのように日本では「戦後パラダイムの見直し」を掲げる者が政権を取るようになってしまいました。
PKO協力法など、これまでの枠組みを大きく変えるようなことを、きちんとした法整備などの手順を踏まずにツギハギだらけの法解釈で乗り越えています。
「国連中心主義」を盾にしており、マスコミもそれに乗っかった報道に終始していますが、国連中心主義と日米安保体制の整合性というものをきちんと整理しているものはほとんどありません。
実はこの時点までの20年の国連での日本の投票行動を見ると、1980年以降では国連総会での決議に対する日本の賛成投票の割合はきわめて低くなっています。
軍縮決議などでも同様なのですが、これらの行動は単に対米追従をしているからということです。
このような状況で「国連中心主義」を唱える矛盾に気付いているのでしょうか。
日米安保のグローバル化に伴い日本の「自己防衛力」を強化しようとしています。(この時点で)(今は”もうしちゃいました”でしょうか)
しかし、それは朝鮮半島などの東北アジアにとっては最悪の選択になりかねません。
日本のやるべきことは、朝鮮半島の平和と統一に向けて積極的な多国間調整の場を提供し関係諸国間の交渉の連絡役を買って出ることです。
まさに正論ですが、誰も聞く耳は持たなかったようです。
日本の戦後は冷戦体制に組み込まれることでアジアに対することを放棄したことに始まりました。
そのため、いまだに正当な戦争処理がなされなかったというアジア側の意識が抜けません。
特に朝鮮半島と台湾の旧植民地に対しては、自国民として徴兵徴用をしたにも関わらず、戦後は一方的に日本国籍を剥奪し恩給・年金・援護もしないままとなってしまいました。
このような「作為的な無作為」が戦後の日本とアジアとの関係を大きく歪めることになってしまいました。
韓国との間にはその後の1965年に「日韓協定」が結ばれ、そこで戦争時の補償等は解決したということにしてしまいました。その後は何があっても「日韓協定」で解決済みという態度を取るばかりです。
そして、それは政府の態度だけに留まらず、国民の意識にも浸透してしまいました。
誰もがそのような認識になっているようです。
文庫本出版時に「10年前の本だがまだ求められている」とされたものが、さらに10年たって「さらに求められている」ようです。
北朝鮮をじわじわと締め上げながら相手が何か動くと「挑発」といって叩こうとする。それもここに来て直接行動の危険性も出ています。
もう一度原点に帰ることが必要かもしれません。