爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

水俣病70年、まだ終わっていないのかと思う人が多いかもしれませんが。

水俣病の公式確認から70年ということで報道も多くなっていますが、まだ続いているのかという思いを受ける方の方が多いのでしょう。

しかしその実態はまだ続いているなどというものではなく、全く被害者をないがしろにする行為が続いているために続けざるを得ないというものです。

toyokeizai.net水俣病と認定された患者は2019年時点で2997人のみです。

そんな数で済むはずはないというのが当然の感覚でしょう。

そのからくりは認定基準にあります。

kyubenren.org

水俣病患者であるかどうかを決定する認定基準は昭和52年に定められたものでそれによりその後も判定されています。

それは感覚障害だけでなくさらに2つの症候の組み合わせがなければ水俣病と認定しないというもので、ほとんどの患者を切り捨てようというものです。

そのため、多くの被害者が切り捨てられ、それによって見捨てられた被害者たちが訴訟を起こし認定を求め続けているというのがこれまでの状況です。

 

水俣周辺の地域でどのような被害が出ているかを広く調べろという訴えすら認められず、被害者が死ぬのを待っていると言わざるを得ません。

 

このような、認定基準を定めそれにより患者かどうかを判別し、それにより救済方法を定めるという手続きは法的に完備されており、その解釈だけであれば法的問題は生じず、裁判でも原告が敗け続けるというのも当たり前の話です。

それが法律によって動かされている社会というものですから。

しかしその法律自体が変なものだったらどうなのか。

法律というものが支配者にとって都合の良いように作られていたとしたらどうなのか。

それが問われているということです。

 

これは水俣病だけに限りません。

他の全ての問題でも同様です。

支配者、政府やそれに連なる大企業の都合の良いように作られた法的制度がおかしいと言って訴訟を起こしてもその判断は当然のものとなります。

それを動かすには政府そのものを変えるしかないのです。