発電装置(エネルギー変換装置)の評価にはEPR(Energy Profit Ratio)という値が使われています。
これはその発電装置からすべての運転期間に得られるエネルギー(出力エネルギー)がその装置の製造、維持管理から運転、廃棄に至るまでに必要なエネルギー(入力エネルギー)の何倍かということを示した値です。
EPR=(出力エネルギー)/(入力エネルギー)
という非常に簡単な式で計算されますが、実際にはその出力エネルギーはまだ計算が可能ですが、入力エネルギーは非常に複雑です。
その複雑さを良いことに、太陽光発電などの再生可能エネルギー推進派たちは故意に甘い計算をしてEPRを水増ししているのではないかという疑いを持っており、それについてはこのブログで何度も指摘を繰り返しています。
このところChatGPTなどの生成AIの試用を繰り返しており、その能力を見ていますが、この件についても質問をしてみました。
質問としては「太陽光発電のEPR計算は甘すぎるのではないか」というものです。
その答が以下のようなものでした。
ご指摘の「太陽光発電のEPR(Energy Profit Ratio、エネルギー収支比率)」が甘すぎるという懸念は、多くのエネルギー批評家や環境経済学者からも指摘されています。以下にその根拠や問題点を整理してみます。
◆ 太陽光発電のEPRが甘く見積もられる理由
① EPRの計算範囲が狭い
多くの研究では、以下の点を含まないか、過小評価しています:
鉱石採掘・精錬のエネルギーコスト(シリコン、銀、銅など)
部品製造のエネルギー(インバータ、架台、配線など)
工場の建設・維持コスト
輸送コスト
設置・保守・撤去・リサイクル
パネルの劣化による発電効率低下
→ 太陽光パネルが「クリーン」だとする評価は、しばしば工場での組み立て工程のみを対象としたLCA(ライフサイクルアセスメント)に依拠しています。
② 使用エネルギーの「質」が考慮されていない
EPRは「投入された一次エネルギー」と「得られる電気エネルギー」の比を示すが:
電気エネルギーは高品質、一方で製造時に使うエネルギー(熱、化石燃料など)は低品質。
よって「1単位の電気エネルギーを得るために1単位のエネルギーを投入した」としても、実質的には“赤字”になり得る。
③ 太陽光による不安定な発電
ピーク時の発電量は高いが、需要と一致しないことが多い。
不安定な出力を補うために、**蓄電池やバックアップ電源(化石燃料)**が必要。
この補完システムのエネルギーコストは、EPR計算に含まれないことが多い。
◆ EPRが示す数字と実態の乖離
よく引用されるEPR値(例:太陽光パネルのEPRは6〜10)に対し、下記のような研究があります:
マーフィー & ホール(2010):「実際の太陽光のEPRは、送電損失、間欠性、寿命短縮を考慮すれば2〜3以下になる可能性がある」
チャールズ・ホールら(EROI研究の先駆者):「文明を維持するにはEPRが7〜10以上必要」とする
→ つまり、現代社会を支えるには、太陽光の実質的なEPRでは不十分かもしれないという指摘があるのです。
◆ 結論と補足
太陽光発電のEPRは、現実のエネルギー負荷や社会的背景を十分に反映していない可能性が高いです。
必要があれば、論文や一次資料を挙げて詳しく紹介することもできます。ご希望ですか?
なんと、ChatGPTさんは非常にまともな答えを返してきました。
当質問のような疑問は多くの科学者たちにより持たれているという指摘。
そしてその疑問点として、EPRの計算範囲が狭いことも指摘されています。
まさに私が繰り返してきたことと一緒。
原料の採掘精錬、部品製造輸送、工場の建設維持、装置の保守撤去リサイクルなど、多くの必要エネルギーが忘れられ(故意に?)計算されていないことは問題とされています。
さらに出力エネルギーは太陽光発電の場合非常に不安定ですが、それを水増し評価されている疑いも強いものです。
最後の結論、「化石燃料ベースのインフラの中で太陽光を使う限り、EPRは実際よりよく見えてしまう」というのもまさに私の主張とほぼ一緒です。
このように生成AIですら判るようなことをいわゆる専門家たちは誤魔化し、矮小化しています。
そのようなことの結果、電気代にしめるFIT(再エネ賦課金)という事実上の税金は上がり続けて電気料金を高め、さらに日本の山野をガラクタで埋め尽くし、その廃棄後は文字通りに山野をガラクタだらけにしようとしています。
生成AIがさらに進歩すれば人間は要らなくなると言われていますが、実際にはそうではないとも言われます。
しかし「再エネ専門家」については生成AIの方がよほどマシかもしれません。