太陽光発電のEPRが10を超えたということについて考えている内に、そんなものでは到底不十分だろうということに思い当たりました。
そしてそれに比較した時に化石燃料による火力発電の莫大な力というものにも改めて驚いたと言えます。
今さらそんなことに気が付いたのかと言われれば確かに情けない話なのですが。
EPRが10ということは、太陽光発電装置の製造から組み立て、維持管理から廃棄に至るまでの装置全般にかかるエネルギー(入力エネルギー)の10倍の電力(出力エネルギー)が得られるということです。
この数字自体、これでも少し大きすぎるとは思いますが、とりあえずそんなもんだろうということにしておきます。
しかし、といことは太陽光発電装置に関わる全ての行程・産業その他の必要エネルギーのわずか10倍しか出力として電力が得られるのみだということです。
社会すべての活動を考えた時、その中で「太陽光発電関連産業」の占める部分はいかほどのものでしょう。
まったく概算すらできませんが、おそらく千分の一にも及ばないのではないかと思います。
それがEPR10ということは、現在の社会全体の必要エネルギーを賄うためには今の100倍以上の規模で太陽光発電関連産業を運営しなければならないことになります。
今の状況でも国土のあちこちに太陽光発電装置がばらまかれているように感じますが、それに加えて「製造工場等」も必要になるということです。
あたかも「太陽光発電だけのためにある国土」にならなければならないということです。
とてもまともな経済社会ではなくなるでしょう。
そして、それを現在まで実施してきたのが化石燃料による火力発電だということです。
その発する電力で国全体の必要量のほとんどを供給しているわけです。
現代の文明社会は「エネルギー依存社会」であると以前から書いていますが、その依存しているものがほぼイコール「化石燃料エネルギーによる」わけです。
それが危険であるということは、オイルピーク説に代表されるような枯渇危険性や供給の減少といった面から説かれてきましたがそれに耳を傾ける人はほとんどいませんでした。
今度は方向を変えて、二酸化炭素温暖化を持ち出したところ、なぜかそれには賛同する人が増えてきたようです。
ただし、その説の不自然さにより対策が変な方向に進んでいます。
これほどまでに化石燃料エネルギーの使用というものが効率的だということ、そしてそれを認めながらもいつまでもこのようなエネルギー使用状況を続けることはできないということをはっきりと認識すべきでしょう。
太陽光発電や風力発電は決して化石燃料の代わりにはなりえません。
化石燃料使用から脱却しようとするなら、それはエネルギー使用自体を削減するということでしかなしえないということです。