爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「保守主義とは何か」宇野重規著

保守と革新、保守とリベラルなどと言われますが、いったい「何を保守」しようとしているのかと不思議に思っていました。

しかしたとえばフランス革命後の混乱時に王制復古を目指す勢力もいましたが、これは保守主義ではないということです。

その厳密な定義によれば、アングロサクソンのイギリスとアメリカのみに存在し、その対抗者は進歩主義ということです。

 

なお、他の多くの人々が別の「保守主義」の定義をし、解説をしていますが、これは著者の一つの解釈です。

 

その起源は18世紀のイギリスの政治家、思想家であったエドマンド・バーグでした。

彼はその政治姿勢は植民地側、アイランド側、に立って政権と争う自由の闘士と見なされていたのですが、その晩年に遭遇したのがフランス革命でした。

誰もがバーグはフランス革命を支持すると予想したのですが、それに反しバーグは革命を激しく批判しました。

それはフランス革命が暴力化し多くの人々を処刑するようになるはるか前、革命直後からのことで、そのような革命の変質以前にそれ自体を受け入れられないとしたのでした。

バーグは王権を批判したものの、それはイギリスですでに確立されていた名誉革命以来の政治体制を崩そうとしたからであり、その政治体制そのものを「保守」しようとしたので保守主義だとされたのでした。

 

その後、1818年にシャトーブリアンがフランスで「保守主義者」という雑誌を創刊し、1830年代にはイギリスのトーリ党が「保守党」と呼ばれるようになります。

この基礎となったのがバーグの「省察」という書物でした。

それではバーグ以前には保守主義はなかったのか。

それに答えたのが20世紀のハンガリー社会学マンハイムでした。

彼によれば、変化を嫌い旧来の物を墨守する保守感情や伝統主義と保守主義とははっきりと区別され、フランス革命とその後のダイナミックな変化に自覚的に対応するのが保守主義だということです。

つまりフランス革命があってからこその保守主義の誕生だったのでしょう。

 

その後、20世紀になると保守主義のライバルとして社会主義が出現しました。

それに対抗してイギリスでは文人たちの保守主義と言われるものが力を増しました。

エリオットやチェスタートンといった人々がそれを論じました。

それに続いて、ハイエクが登場します。

ハイエク保守主義者かというと、本人自らが否定しており、自分は自由主義者だと言っていたそうです。

ただし、世間一般の自由主義と自分の考えるものとは違うとも言っており、その真意は複雑です。

 

さらにオークショットという政治学者も保守主義について論じています。

文字通り「保守的であること」と題した論文を発表していますが、そこで彼は保守主義を宗教や王制と明確に切り離して考えています。

バーグですら国教会や王党派とは強い結びつきを持っていたのですが、オークショットはそれを否定しました。

しかし政治の統治という面では保守的であるというのは何ら矛盾しないと主張しました。

 

ここまでは保守主義の伝統はイギリスにありました。

その他の国に保守主義が無かったわけではないのですが、守るべき政治体制が確立していたのはイギリスだけと言ってもよいものでした。

これに対し、20世紀後半から保守主義の世界の中心となったのがアメリカでした。

1980年にレーガンが大統領に当選したのは、「保守革命」とも呼ばれます。

ネオコンと呼ばれる保守主義の一部が主導したイラク戦争にまで行きつきます。

 

しかしアメリカでは保守主義というものは正統的な位置を占めることは長くありませんでした。

ニューディール政策のようなリベラリズムの優越が続きました。

その中で、リチャード・ウィーヴァーやラッセル・カークらが保守的主張をしていたのですが、賛同者はほとんど得られないものでした。

しかし南部に居た福音派と呼ばれるキリスト教原理主義に近い存在の人々が大量に西部や中西部に移動しました。

そして反知性主義という風潮も広がっていきます。

さらにリバタリアンという要素も付け加わります。

この言葉はもともとは人間の自由意思を重視する思想で、「リバタリアン社会主義」などと言うことも言われたのですが、20世紀アメリカでその語句の意味が変えられました。

政府の権限拡大に激しく対立し、個人の選択と小さな政府を強調する立場をリバタリアンと呼ぶような意味に限定されたのです。

 

最後の第4章では日本の保守主義について論じています。

とはいえ、日本には保守すべき体制というものはありませんでした。

明治維新で幕府から権力を奪い取った政府にとってはすべてが改変すべき体制でした。

憲法を作り上げ立憲体制にしたといってもそれは西欧のそれを真似しただけのもので、それを守ろうなどと言うこともありません。

そこにあるのは国家や国民というものを強調するナショナリズムや、過去に執着する伝統主義でしかなく、保守主義と言われるに値するものはありませんでした。

戦後の日本の保守主義吉田茂によってはじめられました。

吉田が残した遺産は、一つは吉田ドクトリンという、日米安保条約と引き換えにした共産主義国を排除した片面講和を実施し、軍備を放棄して経済だけに特化する方向です。

もう一つは「吉田学校」とも言われる、官僚出身の若手政治家を多数養成したことでした。

池田隼人、佐藤栄作といったそれらの人々は吉田政治を継承して「保守本流」と呼ばれるようになります。

 

その後、進歩主義の凋落によって保守主義は力を増しました。

ただし、リベラルの没落といっても忘れてはいけない視点を多く持っています。

ジョナサン・ハイトによれば、人間の道徳基盤は6つに分類され、それは「ケア」「公正」「自由」「忠誠」「権威」「神聖」です。

前の3つを強調するのがリベラルで、後の3つが保守らしさを示します。

今は一見したところ保守へ人々の期待が集まっているようですが、それは逆に作用する危険性があります。

保守の基本となるべき安定したアイデンティティを与えられる集団というものがなくなっています。

それが無い状況での保守化というのはいったい何なのか。

今後は「開放した」「流動性のある」保守主義が必要なのではということです。

それは多くの現在の保守主義者たちの思想とは相容れないものかもしれません。