爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

パソコンとの関りの歴史(というほど大げさなものじゃないけど) その1

もうすぐ誕生日を迎えると70歳の大台に達します。

そのせいか、近頃物の名前が出てこないとか、昔の記憶が薄れてくるとか、いろいろと変調を感じます。

まだ覚えている内にあれこれと記憶を綴っておこうシリーズその1。

「パソコンとの関り」

もちろんパソコンだけでなく他の物も含みます。

 

最初にコンピュータというものに触れたのは大学3年の授業で計算機関連を受講した時でした。

大学内に大型計算機センターというものがあり、そこのHITAC8800を使ったものでした。

その入出力はまだパンチカードと紙での出力のみ。

BASICで作ったプログラムを1行ずつパンチカードに打ち、その一そろいをカードリーダーから読み込ませるとしばらくして出力表が出てくるというもので、間違えていてもそれが分かるまでにもかなりの時間がかかりました。

4年になり卒論研究に入っても統計計算が付いて回ったのでまだ計算機センターには通いました。

 

その頃、電子式卓上計算機、いわゆる電卓というものも盛んに売り出されるようになりました。

大学生協に出ていたのが「関数電卓」まだ液晶ではなく小さなランプが並んで表示されるようなものでしたが、四則演算だけでなくlogや指数も計算できるということで思わず購入してしまいました。

確か2万円以上したと思いますが、お買い得のつもりでした。それからすぐにさらに機能が向上した製品がどんどんと安く買えるようになるとは思いませんでした。

 

当時は最先端の場所ではマイコンと称するコンピュータの先駆けが登場しつつありましたが、そういった状況にはなかなか触れることができませんでした。

1976年にはNECからワンボードマイコンと言われたTK-80が発売されていたのですが、知る由もありませんでした。

特にその直後に就職して熊本に赴任し、そういった場所とは距離的にも隔絶ししばらくの間は関りがなくなりました。

 

しかし1983年に結婚したのですが、ちょうどその頃がパーソナルコンピュータの黎明期、NECからはPC8000シリーズ、シャープのMZ80K、そして富士通FM8と各社から発売されました。

そして新婚時代はまだ寛大だった家内が買っていいよと言ってくれたのを幸い、富士通のFM7を購入したのでした。

まだフロッピーディスクドライブも標準仕様ではなく、記録装置にはカセットテープを使いました。

読み込みの際のブーブー言う音も懐かしいものです。

雑誌を買っては掲載されているゲームのプログラムを機械語で入力したりしたものです。

さらにその少し後、長男が誕生の頃には後継機のFM77を買いました。

これでようやくフロッピーディスクを使うことができるようになりました。

 

その頃には会社での仕事にもコンピュータ利用の風潮が強まってきました。

ちょうどその頃担当していたのが研究所での微生物菌株の管理、そのデータをコンピュータ化してデータベースとすることとなりました。

当時はその研究所でも化学分野では圧倒的にアップルが使われていました。

どうやら、化学式や分子構造を扱うソフトがアップルコンピュータで多かったようです。

一方で総務経理などではNECのPC98系が普通でした。

どちらにしようか迷ったのですが、たまたま化学の部屋で使わせてもらった際にいきなりクラッシュということがあり、その印象が悪すぎてアップルは避けることとしました。(その後の経験ではどちらも大差ないことが分かりますが)

PC98にハードディスクドライブを2台つけて購入しましたが、かなりの金額だったように思います。

そのHDはたしか「10KB  」でした。(単位に間違いなし)

データにも画像などは全くなく、それでも十分でした。

 

(長くなるので分割します。第1部終わり)