国中ほとんどが「保守」となってしまい、あの安倍政権すら倒すことが困難になっています。
これについては、少し前に3回シリーズで論じました。
「保守派」全盛の現代、なにを「保ち守ろう」というのか。大変動に備えるには大改革をしなければ存続も危うい。(その1) - 爽風上々のブログ
さらに繰り返し強調しておこうと思います。
そもそも、「保守」と言っても「資本主義体制」を墨守し、「経済成長」をあくまでも追い求めるというのがほとんどでしょうが、これが完全な矛盾であることには気がついていないのでしょう。
1%の成長であっても、70年経てば経済規模は2倍を越えます。
このような状況ではとても社会各所を「保守」したままで済むはずがありません。
まして、皆が求めるように3%以上の成長などを成し遂げた暁には、わずか24年で2倍を越えます。
このように、資本主義体制という経済成長を求める体制は「保守」などというものとは無関係であるということは、これを引っ張っている連中はよく分かっているはずです。
彼ら、経営成功者たちは、常に「改革」を口にしています。
それのどこが「保守」と言えるのか。
変わり続けなければいけないと言っているのに。
経済の中では「改革」、しかし政治的には「保守」にしておこうという程度の「保守」なのでしょう。
結局、今の「保守」というものは、経済で成功している連中(何をやっても)がこれまで通りに儲け続ける体制を守るという意味でしかないのでしょう。
本来は、旧体制を守るとか、前時代的な価値観(家とか、男女の役割とか、長幼の序とか、別にこれを批判はしません)を守るとか言うことが主であるはずですが、どうもそれを自ら実践するという人が、特に保守の牙城であるはずの自民党議員にも珍しくなってしまいました。
そのような「エセ保守」であっても、それを打ち破るためには確固とした目標と戦略、隅々まで目を配った政策が必要となります。
現政権のような、多くの人を切り捨ててアメリカと大企業に奉仕するような政策ではいけません。
ここまで論じてくると、自公政権に対抗しようという野党各党がとてもそれを成し遂げる資格がないことがお分かりでしょう。
今の安倍内閣のエセ保守政策を打ち破るだけの目標も手段もありません。
なにしろ、自分たちがほとんどそのエセ保守主義者なのですから。
かろうじて、共産党は自らが保守であるとは言わないでしょうが、目標とすべき共産主義は失われ、目標を描くことが難しくなっています。
また、私の主張した「脱エネルギー社会の構築」というのが、目標としては実に素晴らしい(自画自賛)ものの、具体的な方策の各所に穴が空いていることもお分かりでしょう。
日暮れて道遠しと言いますが、真っ暗闇になりそうです。