爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「面白くて眠れなくなる日本語学」山口謡司著

「面白くて眠れなくなる」シリーズは自然科学を中心に多くの本が出版されていますが、この本は珍しく文科系、日本語学を扱っています。

 

日本語は歴史を見てもかなりの変化を遂げているものですが、海外からの影響も強かったために独特の特徴を持つようになりました。

そういった歴史的な面から見るという側面が強いようです。

 

章の題を見るだけでも興味がわきます。

「”ん”には少なくとも16種類の発音がある」とか、「Hの発音は日本語からも消えつつある」とか、「かろのうろんや」とか。

 

方言の違いというものも、単語の違いはよく話題になりますが、それ以上に大きな違いがいろいろとありそうです。

東西方言の境界線というものも様々な研究から分かってきており、明治時代に行われた実態調査でもその境界は糸魚川から浜松に至る線とされています。

この方言調査はその後も繰り返し行われており、最近の調査でもその境界線はほぼこれで間違いないようです。

なお、この差はすでに室町時代には存在したということです。

 

日本の文化や文学、神道に関することを「国学」と呼び、皇国史観の人々が研究していますが、こういった学問の粋ともいえるのが本居宣長でした。

しかし宣長自身はそのような皇国史観とは全く違った感覚でその興味の赴くままに調べていったようで、自らの学問は「国学」ではなく「古学」だと言っていたそうです。

古文で「係り結び」と活用の関係がありますが、これを再発見したのも宣長でした。

さらに古事記の研究から「上代特殊仮名遣い」というものを発見しました。

源氏物語の研究から「もののあはれ」というものを発見したのもそうです。

さらに多くの音で江戸時代にはすでに聞き分けられていなかったものが古代には違うように使われていたことも発見していました。

 

動詞の「ら抜き」言葉を「ことばの乱れ」などと言って済ませる場合もありますが、これには深い背景があります。

現代日本語では「読む」などの動詞は五段活用をしますが、古文四段活用でした。

それが五段に移行してきたのが室町時代後期でした。

その時に「る・らる」という助動詞が関わってきます。

可能の意味の「読むことができる」は古語で「読むる」、室町以降で「読まれる」

尊敬の意味の「お読みになる」は古語で「読まる」、室町以降で「読まれる」

となり、古語では別の形だったのが室町以降には同じ形になってしまいました。

それでは混同するということで可能の意味の「読まれる」は「読める」とい形になりがちとなりました。

これが「ら抜きことば」が生まれてくる原因となったのです。

ただし、この動きが室町後期に始まったのは京・大阪・江戸などの都市部からであり、地方は遅れていました。

それが全国に広がったのは川端康成の小説からだということで、「伊豆の踊子」や「雪国」にその一因があるともいえるようです。

 

なかなか興味深いエピソードが山盛りでした。