爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

合意型民主主義と多数決型民主主義

つい最近、前田健太郎さんという政治学者の書かれた「女性のいない民主主義」を読みましたが、その中で「合意型」と「多数決型」の民主主義の2つの形があるということを知り、深く頷くところがありました。

 

もちろん、こういった主題は政治学者の議論するだけではなく広く関心を寄せる人もいるのでしょうが、相も変わらず不勉強で自分の好みの分野ばかりを見ている私にとっては新鮮な衝撃となりました。

 

そんなわけで、またネット情報だけですが若干調べてみて、少し考えたことをまとめておきたいと思います。

 

ウェストミンスター・システム - Wikipedia

 

この「多数決型民主主義」というものは、上記のウェストミンスター・システムと言われるものの定義の一つであり、イギリスの議会制度に代表されるもののようです。

それに対するものがコンセンサス・システムと言い、これが「合意型民主主義」に当たるのでしょう。

どうやら、完全にこのシステムのどちらかに属するという国や集団というものがあるのではなく、両方の傾向を持ちながらどちらかに近いといった特色を持つようです。

 

小選挙区制による二大政党制がこのウェストミンスター型に接近し、比例代表制になると離れるといったことが上記の説明の中でも語られています。

 

しかし、現在の日本の政権があまりにも多数の暴力ともいうべき状況を呈しているために、あたかもこの「多数決型」自体に欠陥があるために「合意型」にすべきだという議論がされています。

blog.goo.ne.jp

このブログでは、合議型が欧州の大勢であり、多数決型は後進国型であるとまで言い切っています。

 

ただし、上記ウィキペディアウェストミンスター・システムについての記述の中では、これによる議院内閣制の政府の要件として次のようなものが挙げられています。

 ディビット・リチャーズとマーティン・スミスは、ウェストミンスター・システムの主要な性格として、議会主権、自由で公正な選挙を通じた説明責任、多数党による行政府のコントロール、強い内閣、大臣責任制、官僚の無党派性、の6点を挙げた

 ここで見る限りは「多数派の暴力」といったことはそのシステムの性格としては触れられていません。

結局はその人間の資質によるものでしょうか。

 

さて、もう一つ触れられているのが、日本では1994年の小選挙区制導入の際に、このウェストミンスターシステムへの接近が目指されたということです。

ということは、やはりそれまでの中選挙区制衆議院選挙というものは合意型であるという理解があったものと考えられます。

 

その当時の雰囲気と言うものを思い出してみると、中選挙区制では自民党の中にも派閥が力を持ち、裏での談合や密室政治、野党の中でも社会党との馴れ合い政治、といった「合意をはかる過程」があたかも裏取引の温床のように指弾されていたように思います。

確かにそういった傾向のある政治様態であったでしょうし、それを変えて目に見える政策の争いにするというのが政治改革と見なされたということでしょう。

 

しかし、その改革がどういうことになったのかと言えば、今皆の目前に繰り広げられている議席の多数を占めるのを良いことに反対派などは無視するような多数の横暴政治そのものです。

これが「多数決型民主主義」などとも言えないでしょう。

民主主義ですらありません。

 

どこが間違ったのでしょうか。

 

おそらく、多数決ですべてを決するといっても多くの歯止めがなければいけなかったのでしょう。

今の状況から考えれば、官僚の党派からの完全独立を守るシステム、もちろん司法は完全独立といったことが最低限必要であるのは間違いありません。

 

さらにこの政治リテラシー欠如国民にそもそも小選挙区制がふさわしいはずもないのですが、それをいっちゃあおしまいよなので止めておきましょう。

 

そもそも社会の中で多様性がどんどんと増していった中で、二大政党制などと言うものが成り立つはずもありません。

アメリカなどの二大政党制も、その矛盾を露呈し続けているのですが、それに目をふさぎあたかも先進国は皆二大政党制だなどという宣伝を繰り返したのも間違いでした。

 

さて、どうやら「合意型民主主義」も完全な解決策ではないように見えます。

しかし、今の欠陥だらけの多数決横暴主義は少しでも早く葬らなければなりません。

そのための方策はやはり全国区制の比例代表選挙でしょうか。

それで政治の動きが遅くなったとしても、今よりはマシということで進めるしかないのでしょう。