書名は少し大きなものとなっていますが、内容はそれほど構えたものではなく、阿刀田さんが色々な経緯があって小説家となり、色々な作品を書いてきた道筋を振り返るものとなっています。
阿刀田さんは推理小説や短篇小説などを得意分野とし、直木賞も受賞していますが、少し変わった雰囲気の作品を書くというのが定評となっているようです。
また、「知っていますか」と古典などを紹介するエッセイも書いており、私もその数冊は読んだことがあります。
学生の頃は特に小説家を目指すということもなく、父親が技術者だったので理系に進めと言われていたそうで、それに反発するということもなかったのですが、結局は大学入試で合格せずにフランス文学科に進学しました。
しかし在学中に肺結核となりすでに抗生物質は使える時代ではあったものの、しばらくの療養生活を余儀なくされました。
その間は何もできることがなく、もっぱら読書ばかりをしていたそうです。
新聞記者になろうという希望はあったのですが、結核の病み上がりではとてもそのような職業には耐えられないということであきらめ、国立国会図書館の職員に就職しました。
それほど忙しい仕事でもなく目星をつけておいた本を借りて帰って読むと、さらに読書の幅を広げました。
当時のこの職業は非常に給料が安かったので、副業であちこちの友人・知人から雑誌に文章を書く仕事をを貰い、書いているうちに出版社の目に留まり本の出版へと進んだそうです。
最初の頃から短篇小説というものが性に合っていたようで、その書き方にはこだわりもあったようです。
書き出しと語り口は短篇の命とばかりに考えて作り上げていきました。
アイデアは思いつくたびにメモで書き留め、それを発展させて作品にしていきました。
そういった調子で出来上がった短篇集がなんと直木賞を受賞してしまったと書かれていますが、まあそんな簡単なものではなかったのでしょう。
才能とそれを発揮する場所については面白いことを書いています。
「野球ってものがなければ長嶋茂雄は現れなかった。囲碁がなければ呉清源は現れなかった。せっかくの才能があってもそれを示す場が世間になければ」
確かに、「野球の無い世界」に長嶋茂雄が生まれていたらああはならなかったのは間違いないのでしょう。
「知っていますか」シリーズはギリシア神話から始まり、旧約聖書や新約聖書、そして現代に近い時代のものでもラシーヌ、中島敦と書いていったそうです。
文学的な解説書を書くというのではないにしても、入門者に向けたものを書くということですが、コーランの時は大丈夫かと不安になりました。
過激的な原理主義者に襲われるのではないかとも思ったそうですが、幸いにそういう事態にはならなかったそうです。
もう相当な高齢となっている阿刀田さんですが、この本は昨年の出版、まだまだ書く気は十分なようです。