今村さんは若手の小説家ですが、最近の作家としては珍しく歴史小説を多く手掛け、直木賞も受賞しています。
そんな今村さんですが、小学5年生の時に古本屋の店頭で池波正太郎の「真田太平記」16巻セットと出会い、母親にせがんで買ってもらい、それをむさぼるように読んだことから歴史小説にのめりこむようになりました。
その後大量ともいえる本を読み、一時は別の職業に就いたものの歴史小説家としてやっていこうと決心、その道を進んだということです。
歴史小説と時代小説というのは少し違っており、歴史小説は史実に沿った展開、時代小説はそこまでこだわらずに娯楽を目指すとしています。
同じように古い時代を扱うのですが、やはり歴史小説からは教養として得るものが多いと言っています。
歴史小説の主人公はどれも平凡とは言えず劇的な人生を送ることが多いのですが、それを見ていくことで自分たちの生き方を考えるきっかけにもできます。
またその舞台が現在のどこに当たるのかといった知識も貴重な財産となり、たとえば人との会話の中でもそれを上手に使うことでより深い人間関係を築く助けにもなります。
そういった「歴史小説の利点」についても詳しく述べていますが、歴史小説自体の概要にも触れています。
時代小説というものの原点は江戸時代から続く講談にあり、かなり先行していると言えるのですが、歴史小説は明治末期から大正時代に始まったものとみなせます。
明治末に塚原渋柿園という人物が新聞に歴史小説を連載したという記録があるそうです。
その後、森鴎外や島崎藤村も歴史を題材として小説を発表し、多くの作家が歴史小説を書くようになりました。
初期には「列伝物」と呼ばれるような史実に少しだけ物語性を付け加えたようなものが流行し、海音寺潮五郎がその中心と見られますが、その後こういったジャンルの作品は途絶えました。
宮城谷昌光がその流れを受け継ぐと言えるようですが、こういった作風は歴史好きな読者が多くなければ受けないということのようです。
歴史小説家を世代別に分類するということもやっています。
第7世代 砂原浩太郎、永井沙耶子、今村翔吾
現在の歴史小説はほとんどが長編小説であるそうです。
そこには出版業界の状況が関わっています。
かつてはいろいろな作家の作品をたくさん読みたいという読者が多く、文芸誌というものが数多く出版されていたために中編、短編の作品が都合が良かったのですが、そういった本の売れ行きは落ち、単行本のみが出版されるようになってしまいました。
そのため、短編小説を発表する場が激減してしまい、長編しか出せなくなっているそうです。
また、多くの文学賞も短編を選ぶ部門はほとんどないため、作家志望者も最初から長編を書くしか道がないようです。
著者はあくまでも歴史小説家であるということから、歴史書とは別ということを大きく意識しています。
完全に歴史史実のみを書いていたのでは歴史小説にはなりません。
ただし、逆に歴史小説がすべて史実だと理解される場合もあり、これも少し困ったものです。
司馬遼太郎の作品では史実とは異なる部分もかなりあり、そこを批判されることもありますが、あくまでも歴史小説なのだから事実ではないことがあっても容認すべきということです。
この点は私はやはり歴史書の方が読む価値が大きいと感じていますので、少し捉え方が違うようです。
とはいえ、歴史小説というものの価値を大きく主張する本書も一般向けには良いのかもしれません。
ただし、ちょっと地味な装丁の本ですので、対象とする読者に届くかどうか。