最近はなかなか「文豪」と呼ばれるにふさわしい作家が居ないかもしれませんが、かつては確かに「文豪」という人たちがいたようです。
しかしそういった文豪たちもほとんどは豪邸を構えるわけではなく、粗末な借家を転々とするといったことが多かったのでしょうか。
この本では明治期から昭和までの文豪30人の住宅事情をつづり、そこから見える彼らの人生を描写します。
その作品を読み、そこから得られる感動を楽しむのも良いのですが、文豪たちの人生そのものが彼らの住居に見えるかもしれません。
30人を区分けし、故郷の家への思い入れの強かった人たち(島崎藤村、萩原朔太郎等)、放浪を続けた人たち(石川啄木、林芙美子等)、ある程度の家を建てて執筆した人たち(森鴎外、志賀直哉、谷崎潤一郎等)、終の棲家(正岡子規、堀辰雄等)と描写しています。
明治期の文豪たちの家は、当時の住宅事情もありごく粗末なものが多かったようです。
しかも非常に困窮しているはずなのに妻子を持つというのが当然視されたためか、家族が四畳半一間に住むとか、さらに父母まで引き取って住むといった厳しいものだったようです。
困窮のまま亡くなった人も多く、その後自分が「文豪」を言われるようになったということすら知る由もないままだったのでしょう。
また、ほとんどの作家は東京に行かなければならないという思いが強く、同郷の先輩などの家に転がり込んでしばらく住まわせてもらうといった例も多かったようです。
今とはかなり違う感覚ですが、それでもそれが常識だったのかもしれません。
夏目漱石は東京帝大卒のエリートですが、地方の学校の教師として赴任しました。
松山中学には破格の待遇で迎えられ、月給は校長の60円より高い80円で外国人教師並みだったそうです。
それでも最初は旅館暮らしでその後も下宿や人の家の離れといった所に住みました。
松山時代に結婚した漱石はその翌年に熊本の五高に迎えられ、そこで新婚生活を送るのですが、熊本時代の4年ほどの間に借家を6軒転々としたそうです。
堀辰雄は東京生まれで、父は本妻が居ながら辰雄の母に子を産ませたそうです。
本妻が上京したために別離したのですが、母は関東大震災の時に火に追われて水死しました。
その後病気をして療養生活のために軽井沢に住み、そこに長く住むこととなったそうです。
「風立ちぬ」など名作の数々もそういった中で生まれたのでしょうか。
どうも、作品そのものを楽しむよりこういった話の方に惹かれるようです。