爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「英国貴族文化案内」あまおか けい著

ダウントン・アビー」というテレビドラマが大ヒットしました。

これはイギリスの貴族の家の中の出来事を描いたというもので、一応架空の伯爵家を舞台にしていますが、それと似た話は現実の貴族にたくさん見られたようです。

 

貴族制度というものはどこの国にもあったのでしょうが、フランスのように革命で崩れたところもあり、イギリスはそこまでの社会激変が無かったために保存されてしまったということでしょう。

それでも現在では続いているとはいえ広大な領地だけで収入が上がるはずもなく、経済状態は厳しいようです。

 

そういったイギリスの貴族が一番華やかであったのは、19世紀から20世紀初めまで、ちょうどその最後がダウントン・アビーの時代だったようです。

 

そのような貴族というものについて、様々なことを次々と語っています。

「英国貴族文化」というものについて、詳しくなれそうですが、だからと言ってあまり使い道はなさそうです。

 

貴族文化華やかといっても19世紀には産業革命の結果工業社会となり、貴族の収入の基礎であった領地の農業生産からの収入はどんどん減少していき、徐々に家計が苦しくなっていきます。

ちょうどその頃新興工業国として発展していたのがアメリカでした。

その結果、アメリカには多くの資産家が生まれたのですが、その当時はまだアメリカの上流階級と言えばオランダ移民の子孫が占めていたようです。

彼らは新興階級を「成り上がりもの」として受け入れようとはしなかったため、振興資産家たちは娘たちをヨーロッパの貴族に嫁入らせるという手を探ります。

最初はパリを目指してフランスの上流階級を狙ったようですが、フランスは戦争が相次ぐということで次にターゲットとしたのがイギリス貴族でした。

 

なにしろ、イギリスの貴族たちは大小問わずに経済的に困窮しており、どうにかして財産を得ようと必死でした。

そのため、イギリスの貴族と結婚したアメリカの資産家令嬢は200人以上に上ると言われています。

ウィンストン・チャーチルの母親もそうですし、ダイアナ妃の曾祖母もそうでした。

 

19世紀末の多くの使用人を抱えている大貴族の経済事情が試算されています。

大雑把に言って、使用人を100人として、平均年収が約20ポンドとすると人件費が年2000ポンド、これは給料だけですから他に手当や制服など諸費用を加えるともう少しかかります。

この時代の貴族の収入は、1万エーカーの土地から年1万ポンドと言われていますので、その程度では使用人100人というのは厳しいのかもしれません。

しかし、最上流の貴族家では使用人500人、1000人というところも珍しくはなかったようで、それだけでも多額の費用がかかっていたのでしょう。

 

日本や中国などアジアの「側室制度」を厳しく批判したヨーロッパ世界ですが、その王室でも「公妾」というものがありました。

その始まりはフランスのシャルル7世だということですが、イギリスでも歴代国王で愛人を持たなかったのはいないというものでした。

ただし、それは必ず側近の上流貴族の夫人に限られており、その夫にはその代わりに爵位や領地が授けられたそうです。

 

本書後半は、貴族社会の没落にもつながった第1次大戦について、カーナヴォン伯爵家を中心に描かれています。

この時の第5代カーナヴォン伯爵はあのエジプトのツタンカーメンの墓を発掘し、その直後に死亡したためにツタンカーメンの呪いと言われた人です。

彼の妻はレディ・アルミナと言い、アメリカ資産家の娘ではなかったのですが、公表されていないもののアルフレッド・ロスチャイルドの娘でした。

そのため、困窮していたカーナヴォン伯爵家はロスチャイルドの資産注入で一息付けました。

第1次大戦時にはレディ・アルミナは自らの邸宅を傷病兵の治療施設として使い、自身も看護にあたるという活躍をします。

このような、国難にあたっての貴族の献身的活動というものはイギリス貴族の中に残っており、Noblesse Oblige を果たすというのが精神的な支柱となっていました。

貴族もその子弟も男性は進んで従軍するということが多く、第1次大戦のイギリス将兵の平均死亡率は8%程度であったのに対し、イギリス貴族に限れば死亡率は18.5%だったそうです。

このあたり、形だけは真似をした日本とは大違いのようです。

 

貴族の生活の細かいところまで書かれていますが、見るだけは良くても絶対に中には入りたくないと感じます。