爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

人とのつながりについて その2

その1では血縁までしか書けませんでしたので、その次の地縁から。

 

(2)地縁

古代の氏族社会は血縁者の集団と意識され、非血縁者も含まれることはあっても中心とはなり得なかったのでしょう。

しかし中世、平安時代から鎌倉時代へと進むと荘園制が崩れ農村社会ができていくうちに非血縁者も含む地域共同体ができてきたということでしょう。

この辺の時代区分ははっきりとはしませんが、いずれ研究者の著書を探してみたいと思います。

 

鎌倉時代までは領主やその代人である統治者が在地で管理していたというイメージですが、徐々に農民が自主管理をするようになるとさらに非血縁でも共同体を形成し維持するということが確立し、それが延々と現代まで続く社会となってきたのでしょう。

 

日本のどの地域でも同様かどうかは知りませんが、私が辛うじて触れているここ熊本県南の農村社会、そして両親の郷里の長野県の農村社会などの様子を見ていきます。

 

熊本県南部の八代平野はその多くが江戸時代以来の干拓で広げられました。

その入植者はかつては肥後藩内の別の地域から、明治期以降は日本全国から集まってきました。

血縁的には別の人々が集まってできた社会ということができます。

ただし、その後は通婚によりかなり同質化していくのですが。

 

農村社会ではかなり共同作業の必要性も高く、また個人的なものでも一人の手に負えないものを手伝うといったことは数多く行われてきました。

家内の実家のある八代市北方の農村地帯では、数十軒からなる組という共同体が作られ、運営されてきました。

しかし最近ではどんどんと共同作業も減少していき、農業用水の管理(自分の家・水田の周囲の用水の清掃・不具合の修理)、そして葬儀の際の手伝いが残っていると言えるほどです。

 

これには就業形態の変化が大きく、市街地にある程度近いために勤めに出る人が多くなり、現在ではほとんどの家で男は会社などに勤めるというのが普通で、主婦もパートという状況です。

残っているのは年寄りだけとなり、ほとんど昼間は人影が見られなくなっています。

市街地からもう少し離れると専業農家も多くなり、農作業を常に行っているところもあり、また家族の形態も異なるのでしょうが、そちらにはあまり知り合いもないのでよく分かりません。

 

こういった状況はこちらばかりでなく、私の両親の実家のある長野県南部でも同様のようです。

母の実家のあるのは飯田市近郊ですが、中央高速が開通した40年ほど前から周囲に工場などの進出が続き、多くの人々が勤めに出るようになり、兼業農家となってしまいました。

当然ながら農家の共同作業なども不可能となります。

辛うじて葬式の時の手伝いという伝統だけは維持されているようですが、それも徐々に難しくなり、葬式も斎場任せということになってくるのでしょう。

私の子どもの頃に亡くなった祖父母の世代の葬式と、最近はかなり変わってきているようです。

当時のように、近所の人達が大勢やってきて自然に作業分担してきぱきと動くといった風景はもう見ることはできないのでしょう。

 

こういった地域社会は農村ばかりでなく町にもあったのでしょう。

当地も江戸時代から商人が多く、昔は繫栄した町でした。

八代城下に商人の多く住む城下町が形作られていました。

そこには町人の共同社会というものがあったはずです。

毎年開かれている、八代妙見宮大祭はユネスコ世界遺産にも登録されているものですが、それを支えてきたのも町人たちの共同体です。

ところがそれも少し危なくなっています。

商家がどんどんと廃業していき、町の中心部の建物は取り壊され、駐車場ばかりが目立つ町となっています。

祭を行なう町内会も構成員がどんどんと減っていきます。

今では昔からの住人だけでは実行できず市内でも別のところに住む人たちの応援を受けるといった話も聞かれます。

これも「地縁」の崩壊による社会の衰退でしょう。

 

しかし、過疎化する地方が多い中、熊本県八代市というところはまだ人口減少ということは起きていません。

それならば、市中心部や郊外の農家からいなくなった人々はどこへ行ったのか。

実は、昔からの住居はどんどんと減っている一方、新興住宅地や分譲地が増えています。

昔ながらの狭くて汚い家は出て、新しくきれいで大きい住宅に移り住むといった傾向がずっと続いています。

ところがそういった住宅地では隣近所とのつながりは弱いものです。

立ち話程度はすることがあってもそれ以上の関係には進みません。

町内会にも形だけは入っても、そこで活動するのは昔からの「旧住民」ばかりです。

老人会に入るのも、校区民体育祭で町内対抗運動会に集まるのも「旧住民」

新住民はほとんど参加することもなく、ただ住んでいるだけかもしれません。

 

人々の生活に個人主義というものが隅々にまで入り込み、地域社会での人とのつながりというものが失われつつあるということでしょう。

それは東京や大阪などの大都会だけでなく、地方都市でも徐々に浸透しています。

 

(さらに続く)