桑田佳祐といえばもちろんサザンオールスターズのリーダーおよびボーカルとして、1978年のデビュー以来現在までヒット曲を連発してきた人です。
サザンオールスターズおよび桑田佳祐ソロでも数多くの曲を出していますが、その歌詞というものは彼の歌唱方法のせいもあり、「何を言っているのか分からないところがある」といったイメージがあります。
言葉そのものは聞き取ることができても、その意味が本当には理解できない。
また、頻繁に英語を入れていますが、それも意味あって歌われているのか、それとも他にもある日本のロックのように単にカッコつけだけのものなのか。
著者のスージー鈴木さんはこれまでもサザンオールスターズについての本を書いていますが、この本では特に桑田の「歌詞の意味」について深く掘り下げています。
なお、著作権の関係からか歌詞そのものの全体は掲載されていませんが、ネットで見ることができるのでまあ支障なしでしょう。
桑田の活動は1978年のサザンオールスターズデビュー以降を3期に分けて解説しています。
第一章は「胸騒ぎの腰つき」と題し1978年から1985年まで。
第二章は「米国(アメリカ)は僕のヒーロー」と題し1986年から2010年まで。
第三章は「20世紀で懲りたはずでしょう?」と題し2011年から2022年まで。
時期によりかなりの違いがあるようです。
ロックという音楽は歌詞というものは何となく感覚的に歌われるだけであまり意味はないものが多いようにも感じますが、サザンの歌はそれを字で見た時に驚くことが多いようです。
非常に過激な内容だということが字で見て初めて分かるというのは、当て字で読まれる言葉と書かれる言葉に大きな差があるからという理由もありそうですし、英語を使っていてもそれが読み方によっては日本語を移しているといこともあります。
初期のヒット曲「いとしのエリー」はスローバラードということもありその言葉も聞き取りやすいものですが、改めて内容を見ていくと驚くこともあります。
「笑ってもっとbaby、むじゃきにon my mind, 映ってもっとbaby すてきにin your sight」は語感をきれいに合わせることでリズムを作っていますが、でも「映って」ってなんだ?
さらに「誘い涙の日が落ちる」と続きますが、これもよく考えると意味不明です。
これは桑田の造語ですが、「誘い涙の日」と言われても具体的には何も分かりません。
これを著者は「桑田の言語革命の痕跡」と呼んでいます。
1988年の「遠い街角」の冒頭は、「今でも忘られぬ日々」です。
桑田の歌をたくさん聞いているとまったく違和感を覚えないのですが、それでも「忘られぬ」というのは日本語としてはちょっとおかしいものです。
普通は「忘れられぬ」なのですが「れ」を抜かしています。
実は他の歌でもこの例が頻発します。
「Ya Ya あの時を忘れない」「Bye Bye My Love」「希望の轍」といった曲でやはり「忘られぬ」という形の言葉が使われています。
実はこれは現代語では誤りですが、平安時代には使われていました。
桑田はそれを意識して使っているのでしょうか。
2002年の「Rock and Roll Hero」では歌われる言葉と印刷された歌詞とがフリガナで結びつき政治的なアピールをしています。
「アメリカは僕のHero わがほうはウブなPeople」と歌っているのですが、歌詞の文面は「米国は僕のHero 我が日本人は従順なPeople」となっています。
「まもっておくれよLeader 過保護な僕らのFreedom」は「安保っておくれよLeader」となっており、アメリカの安保体制を示しています。
ただし、この歌詞を見ないとその真意は伝わらず、コンサート会場ではよく分からないまま聴衆が大盛り上がりとなるばかりで終わります。
2013年の「栄光の男」では長嶋茂雄引退を歌っています。
ただし、実際には桑田は長嶋ではなく落合博満により共感を持っていたようです。
長嶋は「国民的英雄」ですが、落合は「個人主義的英雄」
そして桑田佳祐自身も一億人向けの「ナショナル桑田佳祐」とたった一人の「パーソナル桑田佳祐」とが共存しているということです。
非常に面白い「桑田佳祐論」でした。
なお、本書中にも示されているように、「桑田佳祐は1971年に茅ヶ崎一中を卒業し鎌倉学園高校に進学した」のですが、このブログですでに公表しているように私も「茅ヶ崎一中」卒業生です。
しかも卒業年は1970年、つまり1年違いなんです。
私はこれをしばらくは知らなかったのですが、当然ながら私の友人たちでも運動部の連中は初めから知っていました。
今ではそれをネタに宴会の後のカラオケなどで「桑田君の先輩です」なんていってサザンの歌を歌っています。
桑田さん、ごめんなさい。