爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

私の音楽遍歴 その3 社会人 その前半

社会人になったというのももう40年以上も前のことになります。

 

東京で大学生活を送っていたのですが、会社に入り配属先が九州の工場ということになりました。

それまで、親の転勤で引越しは何度もしていましたが、自分一人で転居というのは初めて、一人暮らしも初めてになります。

 

音楽関係でどうしようかという決定を短時間でしなければならなくなりました。

 

まず、レコード(その頃ですでに100枚弱)を持っていくのは諦めました。

狭い寮暮らしでステレオを置くことも難しそうだったからです。

ということで、荷物の荷造りをしながら持っていたレコードのうち目ぼしいものはカセットテープに録音し、赴任後にラジカセでも買って聞くこととしました。

荷造り期間はせいぜい1週間程度ではなかったかと思いますが、何とか無理やり入れてしまいました。

楽器の方はテナーサックスだけ持っていくこととしました。

トランペットは前記の事情であまり思い切り吹くこともできず、ギターは荷造りも面倒だったので止めました。

 

そんなわけで赴任し、独身寮に住むこととなりました。

こちらでは(熊本)当時はFMラジオ局もNHKだけで、実家で聞いていたようなFM東京FM横浜など、多くの局は聞けなくなり、音楽事情はぐっと悪化しました。

 

それでも何となく音楽好きらしいというのは周囲にも伝わったのでしょうか。

会社の先輩から「合唱」のお誘いを受けてしまいました。

市民の文化事業で、「合唱講座」というものがあり、それに参加するということになりました。

男女合わせて20人ほどでしたか、1年限りの講座で練習し、そのメンバーで市民音楽祭にも一回出演しました。

 

そちらはその1年だけだったのですが、それを見て社内の別のグループで市内で活動していた男声合唱団のメンバーからお誘いがかかりました。

市内の中学のPTAで知り合ったメンバーが集まって中心となって作ったということで、指導者としては高校の音楽の先生にお願いし、当時は20名以上のメンバーがいました。

音楽教諭も参加している一方、ほとんど素人というメンバーも多く、力量にはかなりのばらつきがありました。

年1回の定期演奏会に2回参加したのですが、そのころ自分が結婚したこともあり練習にも行きづらくなってそのまま休会ということになり、その直後に転勤となりその街も離れることとなってしまいました。

 

就職し熊本に赴任したのが1978年(昭和53年)でしたが、ちょうどその年にデビューしたのがサザンオールスターズです。

歌を聴いていると「茅ヶ崎」だとか「江ノ島」といった地名が出てきて、少し前に離れてきた湘南地方にゆかりのありそうなグループだとは思っていました。

すると休みで帰郷したときに聞いた話では、どうやらそのリーダーの桑田佳祐という人物は私と同じ中学の出身、それも1年違いらしいということが分かりました。

その当時の感覚ではそれほど趣味に合った音楽とは言えなかったのですが、その後長く聞いていくことになり、カラオケなどで歌うことも多くなりました。

「あの桑田君は同郷、同中学」ということで酒席の話題にさせてもらうことも多く、お世話になりました。

 

そのころよく聞いていた音楽の傾向としては、ハイファイセットユーミンに加えて大橋純子高橋真梨子といった人たちの歌も聞くようになりました。

女性ボーカルが好きで、それもとにかく「上手い」と感じる歌手が好みだったようです。

一方、ジャズの方は世間の大勢がますます軽くイージーになっていったため、流行のものを聞こうという感覚は少なくなり、また子供も産まれてあまり一人で音楽に浸るという生活もやりづらくなり、聞く時間が少なくなっていきます。

楽器の練習も子供の近くでやると泣き出す始末で、あまりできなくなりました。

音楽的には不活発な時代が続くことになります。