「金融」といってもここでは昔ながらの「実体経済の企業に融資する銀行」などを指すのではなく、最近のさばっている株式や債券などへの投資主体の業態を指します。
こういった行動が引き起こしたのが2008年のリーマンショックでした。
この本はその後に書かれたもので、こういった「金融」が世界経済をわが物のようにしている様を解説したものです。
なお、著者のロナルド・ドーアさんはそのお名前から見ても英米系と見られますが、本の内容は日本経済に関するものも多く、またその内実まで深く通じた書き方でした。
経歴を見るとイギリス生まれですが日本語と日本文化を学び日本にも留学し、さらに日本に関する著書も多数発表しているという方でした。
リーマンショックでは「アングロサクソン資本主義の終焉」かとまで言われたのですが、その程度のことではまったく影響も無かったようです。
本書執筆の2011年現在でも世界経済の仕組みはまったく変わっていないと書かれています。
これはもちろんそれから10年以上経った現在でも同様であり、今だに日本では「貯蓄から投資へ」などと言うことが政権から聞こえてくるという状況です。
挫折から何も学ばず破滅に突き進む、その後亡くなったドーアさんがこれを見たらなんと思うでしょうか。
このような「金融化」というものは、英米モデルとも言われています。
ヨーロッパの国々でもなかなか株式投資は広がらず、イギリスやアメリカと比べてかなり遅れています。
それよりさらに遅れているのが日本ですが、それを問題だとする人々もかなりいるようです。
資本主義はかつては実体経済とそれに対する投資(といっても意味が違いますが)を指す、経営者資本主義とも言うものでしたが、それが投資家資本主義とでも言うべきものに変質していきました。
取引先、顧客、従業員などを重視する経営から株主だけを見る経営へと変化していきました。
そしてその株主たるものが健全な経営などと言うものには全く興味もなく、良い値がついたらすぐに企業売却に走ると言った行動をしています。
このような金融化の破綻の大きな教訓がリーマンショックで得られたはずでした。
しかしその「危機を無駄にするな」という掛け声も空しく再びギャンブル資本主義蔓延となっています。
これから何度も同じような破綻を繰り返していくのでしょうか。
本書の大筋は以上のようなものですが、随所に新鮮な指摘がありました。
アメリカでも1960年代までは旧型の経営者資本主義というものでした。
経営者の責任は「株主同様、従業員、顧客、地域社会、国家に対してもある」という認識を(本心かは知りませんが)していました。
経営者の報酬も大企業でも従業員の25倍にとどまっていたそうです。
それが徐々に変化し経営者は株主の召使になっていきます。
2008年のパニックに至るまで、アングロサクソン経済は特に、ヨーロッパと日本の経済は徐々に、金融化が進みました。
その3つの要因は「企業が投資家の所有物になった」「各国政府が証券文化の普及に力を入れた」「金融業者が金融工学と称する手法を駆使し投機的な市場形成に成功し、大儲けした」
そしてその最後のものがリーマンショックを直接引き起こしました。
このような金融化は特にアメリカとイギリスに顕著です。
ただし、これは「海運」「アルミ精錬」「養魚」に得意でそれに力を入れる国家があるのと同様、国際分業の一つだなどと言う人もいます。
しかし金融化の成功は他の経済に対して圧倒的な支配力を獲得することとなり、アメリカとイギリスの世界支配につながるものです。
1944年にケインズは国際通貨「バンコール」を提唱しました。
しかし国際的な貿易システムはすでにドル本位となっていました。
アメリカにとってはバンコールなどというものは邪魔な存在でしかなく、無視しているうちに消えました。
その結果、アメリカ人だけは自分の通貨で海外に対する債務を重ねることができました。
アメリカは自国の生産量よりも4-5%多く消費することができ、日本や中国、産油国は逆に4-5%少ない消費レベルしかできず、その差の外貨準備をアメリカ国債を買い続けることに使わされました。
その貿易インバランスが災いの元です。
中国は保有するドルの外貨準備の価値が危ないことを認識しており、ケインズ通貨も在り得ると考えていたそうですが、自国の元を考えているようです。
日本はまったくそれを考慮していません。
アメリカの政治では「軍産複合体」の支配ということが言われてきました。
しかし最近ではその軍産複合体に匹敵するもう一つの権力極があるようです。
それが「金経政複合体」とでも言うべきもの、すなわち投資家・金融業経営者・政治家が利益のもとに寄り集まったものです。
日本でも金権政治などと言われることがありますが、アメリカのそれは桁違いです。
そして金融業経営者などの莫大な報酬を求める行動は政治家に流す金を得る手段ともなっています。
このような金融化を止める手段はあるのか。
どうもかなり難しいもののようです。