日本には多くの方言がありますが、独特の語彙があるものも多く、それは他の地域の人から見れば物珍しく映るものでしょう。
しかし、中には言葉の字面、形はまったく同じでありながら、意味が異なるというちょっと困った例もあります。
この本はそういった語例を方言学者の篠崎さんが取り上げて解説しています。
なお、副題の「東京のきつねが大阪でたぬきにばける」というのは、もちろんよく知られているように「きつねうどん」の東西での差を言ったものです。
誤解もちょっとだけなら良いのですが、意味が全く違ったり、人間関係の微妙な違いを直撃したりするとやはり問題でしょう。
現代のように人間の移動が多くなり、他地域の人との交流も増えてくるとそういった点はさらに重要度が増してきます。
なまじ、言葉の形がまったく同じであることから、それが方言であるということも意識できないということもあるようで、思わぬ人間関係のトラブルにつながることもありそうです。
佐賀県では赤ちゃんが可愛いことを「いやらしい」というそうです。
実際の発音はほとんど「い」が意識されず「やらし」に近いそうですが。
これは、古くからある言葉で「弱弱しい」や「華奢な」を意味した「柔い(やわい)」が変化して「やわらし」となり、「かわいい」という意味になってきたとか。
もちろん、共通語の「いやらしい」とは言葉の由来もまったく異なります。
愛知・岐阜などでは、「靴がきつい」ことを「きもい」と言うそうです。
もちろん現代語ではあの若者たちの有名な「気持ち悪い」という意味で使われることが一般的でしょう。
しかし、靴屋に行って「この靴少しきもいんで、別のを持ってきて」と言って店員に嫌な顔をされることはありそうです。
「来る」という言葉を「行く」という意味でも使うというのは、九州だけでなく山陰や北陸の一部でもあるそうです。
これは英語の「I’m coming.」と同じ感覚であるということも有名かもしれません。
ただし、あくまでも会話の相手などの所に行くことを意味するのであって、単純に「行く」を言い換えているわけではないと思いますが。
なお、これは平安時代にも「早う来や」と言われて「今参り来む」と使われていることから、当時の用法が残っているものと考えられます。
リンゴのみずみずしさが失われシャキシャキ感が無くなることを「リンゴがぼける」と言うのはリンゴの主産地の北海道、青森、長野だそうです。
共通語でも色が薄れてはっきりしなくなることや、輪郭が曖昧になることをぼけると表現しますが、「味が曖昧になる」という意味で使うのはその地域だけのようです。
方言の宝庫のような九州にいますので、注意しなければ。