方言は各地で使われていますが、言葉の形は他の地方と一緒でも意味が全く違うということがよくあります。
そのため、方言を使っている人たちもそれが他の地域では別の意味と捉えられるということを意識していないことも多いようです。
この本ではそういった言葉の例を取り上げ、その歴史的な背景も解説しています。
なお本書副題の「東京のきつねが大阪でたぬきにばける」というのは有名なうどんの名称についての話です。
「おさがり」というのは兄弟などで同じ服を回して着るような状況を指しますが、京都では「雨が降ること」をあらわすということです。
これは室町時代に宮中に仕えた女官たちの女房言葉から広まったものの現在まで使われているのは京都だけとか。
「くるう」とは共通語では「狂う」ですが、長野や静岡の一部では「じゃれあう」ことを指します。
この用法は江戸時代から見られるそうで、「若猫、若犬はよくくるふ物ぞ」と使われ、子猫や子犬がじゃれあうような状況に使われていたということです。
現在でもその地方では子供がじゃれあうような時を表します。
これは、両親の故郷の南信地方でも使われており、祖父母が生前にはよく使っていたように思います。
「つめる」では、関西や中国四国地方で、「指をはさむ」ことを「扉に指をつめる」というように使うとされています。
関西では工場の注意書きでも「指つめ注意」などと書いてあることもあるとか。
しかし、私も関西在住の経験はないのですが、これは聞いたことがあります。
どこで見たのか覚えていませんが、関東でしょうか九州でしょうか。
「ながくなる」は石川・富山・福岡・佐賀では「横になる」という意味で使われるということです。
金沢出身の作家泉鏡花の作品にも「机にもたれて、長くなってわらひながら聞いていた」という風に使われているそうです。
私の妻の実家は熊本ですが、今は亡き義父が私が少し飲み過ぎて疲れた風になると「なごうなりなっせ」と使っていたのを思い出します。
しかしこのような「方言らしくない方言」というのは危ないということはよくあるようです。
進学や就職で地方から都会へ出るという人は注意しておく必要があるかもしれません。