著者の小澤さんはグリム童話の研究から始めてその後各国の昔話の研究、そして口承文芸の研究をしてきました。
昔話はもともとは口で話して聞かせるというもので、それは家族の大人から子供へ伝えるものでした。
そこには愛情があり伝え聞かせたいという意志があったのでしょう。
昔話と似たようなものに伝説というものがあります。
しかし、昔話では「むかしむかし、あるところに、」と時間も場所も曖昧にしているのに、伝説では必ずそれが確定しています。
伝説というのは「本当にあったことだ」ということが前提となっており、それを伝えていこうという意志があります。
昔話ではそれがなく「これはウソの話だ」と言うことがお決まりだということです。
話して伝える昔話には「語り口」というものがあります。
そこには語りのリズムというものもあり、同じようなことが3回繰り返されるということが多いそうです。
白雪姫も魔女に3回殺されています。
最初は紐で締められ、次は毒を塗った櫛で、そして最後にリンゴで。
シンデレラも舞踏会には3回行っています。
そして3回目に靴を残して帰ってしまいます。
この3回のリズムというものを無視して映画にしたのがディズニーで、小澤さんはその変形を非常に怒っています。
怒っているといえば、「本当は残酷な童話」といった本に対してもそうです。
殺すとかいった話題があるから残酷だというのは大人の感覚で、昔話では殺しましたといってもその詳細を描写することはありません。
それでも死と隣り合わせということは人の世の常ですので、それは子どもには教えなければならないということで、昔話の中で触れられているのであり、残酷を売り物にするのはダメだということです。
「昔話は勧善懲悪」という感覚がありますが、これも一部だけの話です。
実はかつての教育で勧善懲悪のものを特に取り入れて使ったということがあるため、そればかりがクローズアップされてしまいましたが、多くの昔話の中に勧善懲悪がテーマと言うものはごく一部だということです。
それより「三年寝太郎」のようにグータラ少年の話とか、「わらしべ長者」のような話とかいったものが多いとか。
巻末には昔話を語りたいという人向けの参考書も紹介されています。