爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「けんせつのでんせつ」江口知秀著

ダジャレのような題名ですが、東日本建設業保証株式会社という会社が創立50周年を記念して作った建設産業図書館という施設の事業として、各地で伝承されている建設にまつわる様々な口承文芸を紹介するというもので、広報誌に連載した内容を本にまとめたというものです。

 

文化というものが起こった頃から様々な建物や土木施設などが作られてきましたが、そこには多くの伝説や昔話といったものがありました。

大工事となるため生命を賭けて行われることもあり、そこには様々なドラマがどうしても付きまとったのでしょう。

有名なものもさほどでないものもありますが、どれもその地域の人々にとっては重大な存在であり、それがしのばれる内容になっています。

 

広島県呉市の「音戸の瀬戸」は本州と倉橋島を隔てる最狭部わずか90mたらずの瀬戸ですが、広島湾への連絡航路であり多くの船舶が往来します。

そして、ここはもともとは地続きであったものを平清盛が開削したという伝説があります。

ただし主要な歴史史料には見られないため伝説と考えられますが、しかし事実だった可能性も残されています。

この地域が平氏の荘園であったこと、清盛の時代になって厳島航路が開かれたことなど、それを想像させる余地はあるようです。

 

姫路城は均整の取れた造形と美しい白漆喰で城郭建築の最高峰とも見られるものです。

しかしかつては種々の構造的矛盾をはらんでいました。

昭和の大修理で根本的に改善するまでは120か所におよぶ筋交い、200本近い支柱を足して辛うじて倒壊を免れていたという状態でした。

全体で5700tと推定される天守閣の全重量を支えるには地盤が軟弱だったため、建物が東南に向けて傾いていました。

築城からわずか70年後には人目にも明らかなほどに傾いており、俗謡にもそれが歌われていました。

そしてその責を大工の棟梁に押し付け棟梁が身を投げて自殺したという伝説もありますが、その史実はないようです。

 

新宿から西に延びる中央線は地図で見てもまっすぐな直線状に見えます。

正確には東中野駅から立川駅までの25㎞がほぼ直線となっています。

そうなった理由について、府中などの街道沿いの町が鉄道が敷かれるのに反対したという「鉄道忌避伝説」というものがあります。

ここばかりでなく、全国各地にそういった話はあるのですが、実はそれを裏付けるような確かな資料というものはほとんどありません。

そればかりか、わずかの間にその存在価値が知れ渡り、各地で鉄道誘致運動が盛んになるほどです。

どうやら、戦後になり地方史の編纂という事業が進められる中で、それに当たった小中学校の教員や大学の歴史学者、地理学者といった人々がその地域の古老の単なる噂話を吟味もせずに史実として取り入れてしまったというのが本当のところのようです。

中央線の場合は、甲府と都心を最短距離で結ぶというのが大命題であり、そのためには直線で結ぶのが最も良い方法だったためでしょう。

その地域が武蔵野台地で平坦な大河川も無いところだったこともあり、余計な回り道をする必要もありませんでした。

地図に定規を当てて一直線に線を引いたというのは本当の事かもしれません。