世界で毎日5億人の人が通勤をしているそうです。
そのような「通勤」ということはそれほど昔から行われていたわけではありません。
イギリスで19世紀に鉄道が広く普及しだしてからのことです。
鉄道ができるまではどんなに不潔で乱雑であっても都会に皆住むしかなかったのですが、これで都会を逃れて郊外に快適な家を建てて暮らすことができるようになりました。
そのため初期の通勤列車は上等車両ばかりで運賃も非常に高いものでした。
イギリスの鉄道の通勤風景というのはそのブルジョワ的性格からか静かで周囲とは決して話もしないという雰囲気のものでした。
そのため何か時間つぶしをしなければならず駅で売る書籍類というものが発達しました。
イギリスについでアメリカでも鉄道の建設が進み、その駅の周辺に家を建てて都会を脱出する中産階級以上の人々が出現し、通勤風景というものが生まれてきます。
しかし、アメリカの通勤鉄道の光景はイギリスとは異なり、相席の客同士で話が盛り上がるということも多かったということです。
しかし、アメリカでは20世紀になるあたりから自動車の普及が急速に進み、自動車を使った通勤というものが鉄道通勤に代わって大勢を占めるようになります。
自動車会社がその売れ行きを増やすために鉄道会社を買収し潰すというスキャンダルも起きるようになります。
結局アメリカでは世界に先駆けて通勤の自動車化が進み、郊外に多くの一戸建て住宅が立ち並ぶ風景が広がります。
自動車化の動きは国によってかなりの差があり、イギリスでは比較的早く始まりましたが、その他のヨーロッパの国では遅れました。
イタリアでは戦争でインフラが破壊されたために自動車ではなく自転車が主な通勤手段となりました。
あの有名な映画「自転車泥棒」でも通勤用の大切な自転車を盗まれた主人公の姿を描いています。
しかしそのすぐ後にはモータースクーターが普及し有名なヴェスパが急激に増加しました。
しかし1950年代には小型車ながら自動車に転換していくことになります。
通勤の歴史を描いた第1章に続き、第2章では現在の通勤の光景を描きます。
いずれの国でも首都などの大都市の通勤では鉄道の利用が多いのですが、その混雑ぶりはひどいものです。
特に日本ではすさまじい状態となっています。
このあたりの日本の状況には、本書著者のイギリスのジャーナリスト、ゲートリー氏の知識と調査内容には驚きます。
動物をこのように詰め込んで輸送したら絶対に動物虐待に問われるような状況で、定員の200%以上の人数を載せて通勤列車は走ります。
1907年に発表された日本の作家田山花袋の「少女病」という小説は、通勤列車での30代の好色漢と女子学生を描いていますが、そのような状況は現在でも変わりなく、多くの女性が痴漢の被害に苦しんでいます。
痴漢の疑いを掛けられる冤罪も頻発しており、それを避けるために吊皮の無いところでも腕を上げていられるように模造の吊皮を用意する男性もいるということです。
ただし、これほどまでに殺人的とも言える日本のラッシュですが、インドの通勤列車と比べればまだマシかもしれません。
インドでは本当に人が死んでいます。
ホームに飛び降りて列車にひかれたり、屋根の上に乗っていて転落したりという事故が頻発しており、多くの人々が死亡したり重傷をおったりしているそうです。
そのような鉄道通勤と比べて自動車通勤はマシかと言うとそうでもなく、どこでも通勤時の道路渋滞がひどいものとなっています。
そこから来るイライラ感は激しいもので、誰もがストレスを感じ他者に対して攻撃的となる「ロード・レージ」という感情を抱くようになっています。
日本では最近「あおり運転」が話題となっていますが、アメリカなどでは運転トラブルに由来する殺人事件が頻発しています。
無理な割り込みをしただけでピストルを持ち出して射殺するという事件ですが、その加害者は誰もが全く自分は悪くないと言い張る点が共通しているそうです。
本書の最後には一応、未来の通勤という展望も書かれてはいます。
今話題のテレワークも取り上げられていますが(コロナ禍以前の本ですが)しかしテレワークを支えるべきIT企業自体が社員を通勤させているということで、その普及には懐疑的のようです。
まあ当分は多くの人が通勤するということは無くなりそうもありません。
通勤者の苦労というものもあり続けるのでしょう。
私は会社勤めの間は電車通勤はしたことがなく、ほとんどの時期は自転車、徒歩、一時期だけ自動車通勤でした。
それは学生時代に2時間近くかかって電車通学し、それに懲りたために会社を選んだからという理由からきています。
満員電車での通学というのは本当に厳しいものでした。
今は、退職しほとんど家から出ることも無くなりました。
通学体験はあまり懐かしくもありませんが、短い期間でしたが乗る電車がほぼ毎日決まっていた時に、たびたび顔を合わせる女子大生がいたのだけは印象に残っています。
しかし、もうあの人も生きていても60代半ば過ぎか。