爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「排除型社会」ジョック・ヤング著

「異物を排除」する社会、多様性を認める社会とは正反対のようですが、どちらが本当の姿なのでしょうか。

 

著者のジョック・ヤングと言う人はイギリス出身でアメリカでも活動しているという、犯罪学の専門家です。

アメリカが犯罪社会とも言える状態なのは周知のとおりですが、イギリスも相当なもののようです。

そのような犯罪多発の社会へとつながったのが、排除型社会だということでしょうか。

 

近代社会というものが20世紀の終わり頃から急激に変質してきたというのは間違いないことでしょう。

その時期以降を著者は「後期近代世界」と呼んでいます。

 

そこまでの安定的で同質的な「包摂型社会」から、変動と分断を推し進める「排除型社会」へと移行していきました。

 

犯罪が極めて増加しているというのも確かでしょう。

ただし、これはそれ以前には犯罪が起きる場所や時間が限られていた(スラムなど)ということや、犯罪を隠して明らかにしていなかったということも関係しますが、それが拡大しいつでも起きるようになったということでもあります。

 

そこでは現実的な対策として「保険統計主義」というものも取られるようになっています。

これは、正義を追求するよりも被害を最小にできれば良いというもので、犯罪の原因などをいくら探ったところで犯罪と言う社会問題は解決するはずもないので、犯罪の損害をリスク計算をしてもっとも少なくすれば良いという考え方です。

 

ゼロトレランス、すなわち不寛容という態度で、犯罪者はどんどんと刑務所に収監すれば良いという政策も取られましたが、その結果アメリカでは刑務所に溢れるほどの人間が入ることになりましたが、それで治安が改善されたとも言えないようです。

 

社会の大きな変化と言うものを、犯罪と言う面から見たというもので、どうも日本人からはあまり実感がないもののようです。

本書の中にも日本に触れたのは一か所のみ、それも「世界の国々で犯罪は増加した(日本を除き)」とあるだけでした。

「包摂型社会」が良いものかどうかというのも、著者も断言はしていませんが、単に指導階級の男性の価値観に皆が合わせようとしていただけのようにも感じます。

それが分断していったのも、個人主義が進行したからでしょうし、それは一概に間違っているとも言えません。

ただし、それが排除というものにつながるのは誤りでしょう。

結局、何を言いたいのかちょっと掴みがたいような本だったと言えるでしょう。

まあ、現代というものがとてつもなく難しいものになっているということは間違いなさそうです。