「内田樹の研究室」に掲載されていたもので、内田さんがどこからか依頼されて書いた文章ですが、言い足りないところがあるので書き足したロングバージョンです。
「現状の分析」ということです。
blog.tatsuru.com大事なところは強調して表示されているという、分かり易いものになっています。
最初にあるのが、安倍内閣やその支持者たちの信奉する「新自由主義」について。
コロナ禍でわかったのは、「選択と集中」戦略はパンデミックのような社会的に危機に対してはまったく役に立たないという事実です。
まあ一言で終わってしまうようなものですが。
もちろん本文ではその根拠や詳細も触れてあります。
リスクに対処するというのは、幸いにもそれが来なければ無駄になりますので「選択と集中」派から見れば不要に見えるものなのでしょう。
しかし、何もなければ無駄になるところだった韓国の検査機器も十分に役に立つことになりました。
さらに、東京オリンピック開催への欲望がかなり大きな足かせとなったようです。
今回、危機対応が遅れたのは、政府も都も「東京五輪の予定通り開催」というシナリオしか用意していなかったからです。せめて2月段階で「五輪が開催できないほどの規模で感染が広まった場合」についての「最悪のシナリオ」も用意して、とりあえずマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服の備蓄・医療体制の整備を始めているべきでした。たしかにその用意は、感染が手際よく「水際」で止められていたらすべて無駄になるわけですけれども、市中感染が始まった場合には適切に対応できた。危機管理というのは「無駄を覚悟で」すべきことですけれど、国も都もその覚悟がなかった。
今から考えても当時の政府や東京都、JOCの動きはおかしかった。
ただし、「その覚悟がない」のは現在でも同様かと思います。
日本人には「最悪の事態に備える」という発想そのものが希薄です。
「負け幅」や「被害」を最小化するためにどうすればいいかということを日本人は考えません。「勝つ」ことしか考えない。
これもあまりにも端的に言い切っていますので、「そうでもないだろう」と言えなくもないのですが、まあよりよく改善しようとするのならこの点をどうにかしなければならないところでしょう。
もうよく知られてきたところですが、原発に巨大津波が押し寄せる危険性があることはわかっていたのに、そこまで最悪にはならないと判断し?ほんの数十億かの設備費をけちって数十兆の被害を出してしまいました。
この先の巨大地震や噴火についても同様です。
これは「これからのこと」でもあります。
内田さんが書かれることは、一部を拡大し強調するということもあるために、反論もしやすい構造になっているのでしょうが、色々と考えるきっかけを作ってくれるという面もあるのかもしれません。
自分で考え付くということが少ないものにとっては、ありがたい存在とも言えます。