NHKスペシャル「失われた文明 インカ・マヤ」と題して、中南米の古代文明についての放送がされたのは、2007年でしょうか。
この本はその取材記録に加えて、小説家の恩田陸さんがマチュピチュを訪れた話を合わせて、豊富な写真とともにまとめたものです。
本書冒頭の恩田さんのマチュピチュ旅行記は、クスコから始まる現代の行程をたどったもので、様々な場面を描写して読むものにあたかも目前にその風景があるかのように感じさせてくれます。
マチュピチュのあの写真、ワイナピチュ(若い峰という意味)を背景に石造りの構造物が並んでいる、あまり都市という感じはしないものの何か意味ありげな風景ですが、そこに至るにも相当な時間と労力がかかるということは分かりました。
後半の、取材班の人々が色々な現地の人に会い、話を聞き出し、番組を作っていく過程を記した部分の方が、歴史的なインカの現在の残り香が感じられ、興味深いところです。
インカ帝国と言われている王国は、南米のペルーを中心にコロンビアからチリまでの広い範囲を統治しました。
しかし、その期間は13世紀からスペインにより侵略され滅ぼされる16世紀までのわずかな間でした。
スペインによる占領と統治は厳しかったために、インカ帝国時代の記録はほどんと残っていません。
そこには、インカが文字を持たない文明であったことも関わります。
はるかに古い中米のマヤやアステカの文明では文字を使用していたのですが、もう近代と言えるほど新しいインカでは文字を使わず、キープという糸を結んだもので情報をやり取りしていました。
その解明はまだできておらず、全容は分かっていません。
しかし、その人口の多くはスペイン人の酷使と天然痘などの外来感染症のために死滅したものの、まだインカの血統と言われる人々は残っているようです。
ただし、彼らもインカの詳しいことは覚えていないようです。
インカ帝国と言いますが、彼ら自身は国の名前がインカであるとも、帝国であるとも思っていなかったはずです。
インカとは、支配者たちのことを呼んだ名称のようで、彼ら自身は自分たちの国のことを「タワンティンスーユ」と呼んでいたようです。
これは彼らの言葉のケチュア語で「4つの部分の集まり」を意味します。
インカの王統は13代の王を数えますが、1200年頃のマンコカバックという王が事実上の初代のようです。
しかし、その支配範囲はごく小さいものであり、それを拡大したのは第8代ピラコチャ・インカでした。
これが1400年代前半のことです。
そこから最後の王アタワルパまで、6人の王の時代がインカ最大の領域を占めていました。
マチュピチュが山の高いところにある秘境と考えられますが、実際には「インカ道」という山の高いところばかりを通る交通路が張り巡らされており、クスコの都からも簡単に王が行くことができるものだったそうです。
この「インカ道」はその他の地域にも作られ、あたかも古代ローマ時代の石畳の道のように帝国全体の交通と流通を保証するものでした。
この流通体制のために、インカ帝国は国全体を富ませることができました。
ただし、スペインの侵略者たちもそのインカ道をうまく利用してあっという間にインカ帝国全体を征服することができたのも事実です。
インカは広域の数多くの民族を支配下に置きますが、彼らから税を取り立てて自分たちだけが富むということはせず、支配下の民族に物資を配布することを当然のようにしていたそうです。
そのような「ふるまいの精神」というものは、今でもその末裔の人々にも生きています。
ただし、振る舞いしすぎることもあるようですが。
アジアやヨーロッパの文明とは異なる進歩をとげた古代アメリカの文明というものの形を詳しく知ることは、行き詰まりつつある西洋文明を救うことになるかもしれません。