爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「古代エジプト全史」河合望著

ピラミッドやスフィンクスを作ったことや、ミイラの発掘、「エジプトはナイルの賜物」という言葉、クレオパトラで終わった古代エジプト、そういった断片的な知識しかない古代エジプトですが、それをざっと通して見ればどうなるか。

それを一冊の本にしてしまったというものです。

 

著者は小学校1年の時にテレビでツタンカーメンの黄金のマスクを見て以来、古代エジプト文明にとりつかれそれを研究する道に進んでしまったという方で、エジプト愛が伝わってくるような本です。

 

王朝時代と言われる、第1王朝から番号がふられて第31王朝まで、(それにしても通し番号でというのは面白い)といっても非常に長い時間が経過しているのですが、第1王朝以前にも人は住み社会はありました。

それが旧石器時代から新石器時代、さらに先王朝時代と発展していきました。

そこにファラオと呼ばれる王が出現してきたのが伝説の王、メネスでした。

紀元前3世紀の神官マネトがプトレマイオス2世のために著した歴史書「エジプト史」はそれまでに残っていた古文書を元に書かれたものですが、その最初に王として書かれていたのがメネスの名でした。

ただし、それ以外に考古学的遺物などでは確認できないため存在は疑問視されます。

遺跡から発見されたものに書かれていた名前として確認できる最初の王の名がナルメル王であり、これが初期王朝時代の第1王朝の始祖と見られます。

この王朝の遺物はナイル上流域の上エジプトで見られますが、下流域のデルタまで統一したかどうかは説が分れます。

 

巨大な石造建築物である階段ピラミッドを初めて作ったのが第3王朝のジェセル王で紀元前2686年から統治していた王だそうです。

続く王たちもそのようなピラミッドを作ろうとしたのですが、まだ技術が安定していなかったようです。

しかし第4王朝になるとクフ王が作ったピラミッドは巨大であり技術的にも向上し、さらにエジプト全土に彼の足跡が残るほどに広く統治をしたようです。

 

しかし古王朝も徐々に衰退し、エジプト各地に対抗勢力が現れ内戦状態となっていきます。

それを収め再統一を果たして中王国時代となります。紀元前2000年頃からのことです。

ところがその後エジプトの外からやってきた異民族、ヒクソスによる支配を受けることとなりました。

これを第2中間期と呼びます。

ヒクソスという民族の詳細は分かっていませんが、西アジア系の異民族であり武力によりエジプトを支配したと言われています。

 

それを打ち破り再びエジプトを統一したのが新王国時代の第18王朝でした。

アメンヘテプ1世やトトメス1世、そしてツタンカーメンといった王の名は有名でしょう。

なお、アメンという神の名が王の名にも入っていますが、アメン神信仰が盛んであったもののツタンカーメンの父王アメンヘテプ4世が宗教改革を企て、アテン神への信仰に変えるとしたことで混乱します。

アメンヘテプはアクエンアテンと改名し、息子も最初はツタンカーテンという名前でした。

しかし宗教改革に失敗しまたアメン神信仰に戻り、ツタンカーテンもツタンカーメンと名前を変えました。

 

その後、エジプト人の力が弱まりリビア人やヌビア人が王となったり、ペルシア帝国に占領されその支配下に置かれるといったことになります。

さらにアレクサンダー大王に征服され、その部下のプトレマイオスによる王朝が開かれますが、プトレマイオスはエジプト文化に同調しその王朝もエジプトの伝統に合わせることとなります。

そしてプトレマイオス王朝の最後の女王クレオパトラ7世で古代エジプト王朝は終わり、ローマの支配下にはいりました。

 

ざっと流れを見ただけでも、ここまででも3000年以上も続いたことになります。

古代文明の発祥ではメソポタミアの方が先行しますが、文明の連続性とその期間の長いことではエジプト文明は独自の性格を持っていたと言えるのでしょう。