「素数ゼミ」という生物を研究したことで知られる吉村さんですが、昆虫学が専門ではなく生物の進化というものを研究しています。
ダーウィンの進化論は生存競争を勝ち残る適者が進化の主役であるとしていますが、それは間違いであるとしています。
それよりも、「他と協調する能力のあるものが生き残る」ということを説明しています。
なお、巻末にはその進化システムを用いて人類社会や資本主義なども解析しようと試みています。そのあたりの記述はとても進化論の本とは思えないようなものになっていますが、確かにそこに表れる人間の行動というものも、進化の原則から説明できるのかもしれないと思わせるものがあります。
本書第一部では、従来の進化論を大まかに説明しています。
ダーウィンの自然選択理論では、環境の変化がまったく考えられていないこと。
利他行動とゲーム理論、血縁選択説、履歴効果等々。
進化論についての知識の整理には役立ちます。
第二部で、これまでの進化論に欠けていたか、あるいはわずかしか触れられていなかった環境の変動という問題を取り上げます。
そして、第三部で新しい進化理論として環境変動説を説明していきます。
自然選択説を進めるとき、ダーウィンは環境の変化を考慮していませんでした。
しかし、自然選択の作用というものは環境が変化した時にこそ起きたはずです。
環境の変化が無い時にいくら突然変異が起きたとしてもそれで選択される可能性は非常に低かったでしょう。
魚が意志を持って陸に上がったかのように考えている人がまだいます。
しかし、実際はそうではなくたまたま浅瀬に居た魚の社会に、突然水が少なくなり干上がるという環境変化が起きたのでしょう。そこで選択されたのは空気中でも呼吸できるような表現型を取りうる遺伝子型を持った魚の一種でした。
彼らが両生類へと進化したのですが、それは環境変化からの強制とも言えるものでした。
環境変化というリスクに対し、繁殖行動を変えて対応するように生物は進化してきました。
その方法は大きく2つに分けられ、多産多死の「リスキー型」と少産少死の「セイファー型」があります。
マンボウという魚では、成魚は大型ですが稚魚は非常に小さく外敵から身を護る術もないものです。したがって、非常に多くの卵を産み生き残る確率を増やしました。
一方、サケは比較的安定した川という環境に遡上して卵を生むのでマンボウと比べれば稚魚はずっと安全です。そのために卵の数は少なくその大きさも大きくなり、セイファー型に近づいています。
哺乳類は胎内で子供をかなり大きく育ててから産みその後も子育てを行うという、セイファー型の王者とも言える進化を遂げました。
とはいえ、同じ人類の中でも現在では国によりリスキー型とセイファー型が分けられます。
多く子供を産み乳幼児期に死んだとしても少しでも生き残れば良しとする途上国型と、一人か二人しか子供を生まず大切に育てる先進国型とがそれに当たると言えます。
適者生存論では、繁殖でも強者が有利でありその子孫が多く生き残るとされてきました。
しかし、著者はそれよりも「出会い」のチャンスを上手く捉えることの方が実は重要であったとしています。
出会いさえあれば、多少は見劣りする者でも子孫を残せる。出会いがなければ強者でもそれができないということです。(現在の日本の社会を見ているようです)
著者が提唱した「素数ゼミ」の生態もその雌雄のセミの「出会い」を最適化するところから進化してきたという解釈です。
ただし、「強いだけでは生き残れない」とはいっても従来の進化理論を完全に否定するつもりはないそうです。あくまでも著者の環境変動説はそれらに欠けていた視点を補完するだけだということです。
強いだけでは生き残れないならどうすればよいのか。
それは、「共生、協力」だそうです。
環境が変わって生存のリスクが上がることを、生物たちは共生することで避けてきました。
アリやハチなどの社会的昆虫などは個々の存在よりも集団全体の生き残りのために生きているようなものです。
人類もその発展というものは、共生協力というもので実現されてきました。
農業の進化、医療の発展、教育といったものはその現れと見なせるそうです。
ただし、現在の金融資本主義はこのような生物としての原則を打ち破ってしまっており、その行動は人類そのものの存続に対して危機を与えているということです。
「生物資源経済学」というものがあり、そこでは生物資源は有限であるという原則を重視します。
一般の経済学では、これを無視して資源は無限であるという幻想のもとに構築されていますので、いずれは破綻することになります。
自由経済下では水産業や林業、農業などの自然を元とした産業はすべて存続できないと言うことがコリン・クラークらによって論証されているそうです。
進化論というものが、人間社会の行動そのものにも反映しているというのは驚きですが、非常に納得しやすいものでした。