爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「多様性の維持」は絶対正義なのか。

よく見ているテレビ番組に「所さんの目がテン」というものがあります。

日本テレビ系の日曜朝の番組で、科学というものを主題として様々なテーマを取り上げています。

その姿勢は中々しっかりとしたもので、少し前ですが「レタスの睡眠誘導効果」ということが社会的な興味となったことがありますが、その時に安易に番組を作ったテレビ局が多かったものの、この番組の制作者はその関係者に話を聞いたところあまりにもいい加減と判断したために番組にはしなかったという話をさる本で読んだことがあります。

 

ただし、今回の件はちょっとどうかと思うものですが、まあ現在では社会一般から専門家に至るまで同様な状況に落ち込んでいるようですので、仕方ないことかもしれません。

 

その問題というのが「生物多様性への行き過ぎた信仰」とでも言える態度です。

 

この番組ではこれまで数年間の長期プロジェクトとして「かがくの里」というものをやっています。

これは、関東地方の山間地でもとは棚田として耕作されていたものの、長らく耕作放棄されていた土地を「かがくの里」と称して耕地化し、様々な作物を栽培するなどの活動をして「里地里山」の復活を目指すというもので、もうかなりの成果を挙げているようです。

 

その中で盛んに言われていることが「荒れ果てた土地に手を入れて里地里山として復活させることにより、生物多様性が向上した」ということです。

荒廃した自然も人間が介入することで生物多様性を向上させることができる、すなわち絶対正義という構造です。

 

ここにどうも引っかかります。

もしも人間が介入しない自然のままであったら生物多様性は減少してしまうのか。

そしてその状況は人間が手を入れる里地里山の状態より劣るのか。

およそ3万年前、人間がやってくる以前の日本列島は生物多様性が少ない状況だったのか。

 

そんなことはあるはずもありません。

自然のままに放置すれば日本列島の状況は照葉樹林帯に覆われるのが自然でしょう。

上記番組の中でも専門家が言っていましたが、氷河期には草原に覆われていた日本列島がその後の温暖化によって徐々に森林化していった中で部分的に残ったのが草原でした。

そこにわずかに残っていたのがその状態に適応した動植物であったそうです。

つまり、そのような特異的な状況でわずかに生き残れた生態系というものがあったということです。

 

本来ならばその後の生態系の変化によって淘汰されるはずの草地の生態系というものが、たまたま人間の営みによる里地里山環境の維持によって生き残りました。

それは極めて人為的なものだということでしょう。

 

そのような里地里山の環境は確かに生物多様性が豊富なのは間違いありません。

だからといって、それを守らなければならないのか。

どうも自然の法則に反した人為的な行為としか思えません。

もしかしたら自然というのは同じような条件であれば一様な樹林帯というものであり、それほど多様なものではないのではないか。

 

それがたまたま箱庭づくりのような里地里山の維持という人間の営みのよって、あちこちに多様な環境が作られてしまいました。

そのような箱庭環境が至る所に作られたのが前近代の環境だったのかもしれません。

それは自然とは何のかかわりもない、あくまでも人工的な環境です。

 

こういった違和感は、阿蘇の草原を守るための野焼きというものを見た時にも感じました。

それは「放っておくと森林化してしまうから野焼きをして草原を守る」と言われていましたが、「なぜ森林化してはいけないのか」という疑問を持っていました。

そこではあくまでも自然のままに放置していけば森林化してしまうのが自然の働きです。

それを野焼きという極めて人為的な行為によって維持しているのが「阿蘇の草原」でした。

そのような人間の行為を別に否定するわけではありません。

しかし、それが自然などと言うことはできません。

「自然を人間のために変化させているのだ」ということを自覚はしてもらいたいものです。

 

あのような人為的に作られた里地里山環境というものは、確かに色々な生物の生育環境に適したものであり、生物多様性を増すためには効果があるものです。

しかし本当にそれが正義と言えるのか。

人為的な介入が高度に制御されていれば良いのかもしれません。

しかしそれは行き過ぎになることがほとんどであり、里地里山というものも江戸時代には多くが植物の過剰な取り去りによって禿山化してしまいました。

近畿地方以西の里山では黒松林だけとなり松茸が異常繁殖したということも知られています。

人間の介入を許して高度な環境維持ができるなどということは無いようです。

それならば人間は介入させない方がよほど目的にかなうのでは。

 

もしも人間の手が入らなければ日本列島の南半分は照葉樹林帯でありかなり単純な生態系となっていたかもしれません。

しかし所々には水系があり湿地帯もあり、そういった所にはそこに適した生物が住んでいたでしょう。

大きな範囲を取ってみればそのあちこちに違う生態系があり、それらを総合して考えれば生物多様性が保たれていたのでしょう。

しかしごく狭い範囲でもそれを求めるというのが水田や里山を組み合わせた里地里山というものであり、国土の大半を生物多様性を失うような環境としてしまった今では貴重なものだということになります。

 

このように、人為的とはいえ生物多様性を増すような働きをする里地里山というものは、自然そのものではないにしてもその代わりとして人間にとって都合の良いような形で存在しているということでしょう。

まあ現状としては最良ではないとしてもやるべき事とは言えるのかもしれません。

あたかも動物園や植物園のように。

非常にゆがんだ形ですが、そのようにゆがませてしまったのは人間の営みのせいでした。

ちょっと文章の中で主張がかなり揺れ動いてしまったようですが、それほど複雑な問題だということでお許しください。