爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」アリク・カーシェンバウム著

地球外生命体というものはいるのかどうか、まだ分かりませんが、地球と同じような環境といえる惑星が無数に存在しそうだということが分かってきており、その中には生命を育んだところもあるかもしれません。

 

そういったエイリアンというものは、SFの中では以前からあれこれ想像され描かれています。

緑色であったり、触手を持っていたり、また逆にほとんど人間と変わらない姿であったり。

しかし生物というものが何か一定の原則のもとに進化するものであれば、おのずとその取り得る姿にも何か決まったものがあるのかもしれません。

 

この本の著者カーシェンバウム氏は動物学者であり進化生物学を研究しています。

地球上での生物というものはすべて一つの細胞から分かれて進化してきたものであり、基本的な生物学的反応は共有しています。

それが他の星でも共通であるかどうかは分かりません。

別の方式が成り立つのかどうかも不明です。

しかしたとえ別の反応をもとに進化した生物であっても、それが生物である限りは決まった原則で動いているのではないか。

そういった、生物現象の中の「普遍的原則」はどういうものかということを「まじめに」考察しています。

 

取り扱うものは、形態・機能、運動、コミュニケーション、知能、社会性、情報、言語、人工知能、そして人間性です。

この中でどれが普遍性のあるものか、そして地球独特のものはどれか。

そういった観点から見ていきますが、その根拠となるものはやはり地球上の生物の観察であることは仕方ないことでしょう。

ただし、まったく異なる原理の中から生まれた生物であってもこれは共有されるはずだという推論は間違いないのかもしれません。

 

そういった推論を裏付けるかもしれないのが、収斂進化(平行進化かもしれない)です。

オーストラリアの有袋類に見られるような、他の種がいなくなった時にある一種の生物から様々な形態に分かれて進化していき、あたかも別種の祖先から生まれたような数々の生物種が誕生することです。

地球外生命体で、地球の生物とは全く異なる原型から進化が始まっても、結局は地球と同様の生物種が揃ってしまうのではと思わせるものです。

 

地球上の生命はDNAまたはRNAを遺伝物質として使う祖先から分かれて進化してきました。

これが地球外では全く違う物質からスタートすることがあり得るかもしれません。

地上では無性生殖と有性生殖が発達し、有性生殖は二つの性となっていますが、これが他の分子を使うことで三種や四種などと言うことになり得るのかどうか。

その場合に地上の生物のように血縁を原則とする行動も相当変わったものになるかもしれません。

しかしもしも地球と同様にDNAを原則とする生物であれば、その結果も地球と似たものになるのかどうか。

 

いろいろな可能性を想像してみるというのは楽しそうですが、それができるためには非常に深い科学的知見が必要なのでしょう。